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Mayer様:神戸クラブについて

2006/10/17(火)

亡くなった安居律(やすい・りつ)さん=昭和22年(1947年)東西対抗(戦後初の天覧試合)の全関西チーム主将=のことを書き、あわせて当時のプログラムを紹介したところ、安居さんの所属に「神戸クラブ」と記載されていた点について、問合せがありました。

*安居さんについての日記はこちら 
 https://crospo.jp/page.php?p=fh_diary&target_c_diary_id=10301

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Mayer様、お返事が遅くなりました。

神戸にはKR&AC(神戸レガッタ アンド アスレチック・クラブ)という外国人のスポーツクラブが明治時代からあって、東遊園地(現・神戸市役所の本館とその南側一帯)にグラウンドを持ち、テニ ス、野球、サッカー、ラグビーやボート(神戸の敏馬=みるめ=海岸)などを楽しんでいました。

そういう外国人のクラブに誘発されて、サッカーのOBたちが「神戸クラブ」というサッカーのクラブを作ったのが、たしか昭和3年ごろ。早稲田の蹴球部の草 創期のメンバーであり、ビルマ人のチョウ・デンの直弟子のひとりでもあった玉井操さん(昭和2年、1927年第8回 極東大会・日本代表)たちが中心でした。

やがて、第10回極東大会(1930年)さらにベルリン・オリンピック(1936年)代表の世代が加わるようになって、赤川公一(旧姓・西村)後藤靱雄、 大谷一二、右近徳太郎たち錚々たるメンバーがそろい、黒シャツ、白パンツの神戸クラブは、この地域の若いフットボーラーの憧れとなっていました。

東西対抗の全関西に匹敵する力を持つこのチームは、クラブとして公式試合に出るよりも、もっぱら若いチームの挑戦を受けて試合をするという指導的立場を保っていました。
大戦後は、指導よりも「実戦」へという考えの人たちが、新しく六甲クラブを作り、また大阪でも、天皇杯出場を掲げたOBクラブ「大阪クラブ}が生まれて「神戸」の力は分散。それでも昭和40年(1965年)までつづいていました。

安居さんは大学卒業後、神戸クラブの最盛期の時期にプレーしたひとりでした。

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