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日本vs北朝鮮を見て その1

2005/02/15(火)

ゲルト・ミュラーを思わす大黒将志のシュート

2月9日
日本 2(1−0 1−1)1 北朝鮮

【川淵キャプテンの感想】

◆90分を終わって1−1。ホームでの引分けという無残な結果が近づいたロスタイムでの劇的なゴールだった。

◆JFA(日本サッカー協会)の川淵三郎キャプテンはテレビのインタビューで、「大黒(おおぐろ)のゴールに尽きるネ」と語った。自身がストライカーであり、1964年東京オリンピックのアルゼンチン戦、3−2で逆転勝ちしたときの同点ゴール(2−2)を決めた選手——その1点の重みと、大黒の反転シュートのむずかしさを知っている——だから、実感が短い話のなかにこもっていた。
◆そのキャプテンの選手時代よりも、ずっと前から日本代表を見つづけてきた私には、大黒将志のようなタイプのストライカーが日本代表に加わるようになったこと、日本サッカーの厚みが次第に増してきたことが、この日の勝利とともにとてもうれしいことだった。

【大黒将志の得意芸】

◆大黒将志については、昨シーズンに活躍が目立つまで、関西にいながらナマで見るチャンスは少なかった。いささか不勉強ではあったが、最初に見たときに、その反転の速さ、右にも左にもひねってシュート体勢に入れるところと、自分のスペースを空けておいてそこに入ってくるうまさに、1970年代のゲルト・ミュラーを思い出した。ワールドカップ70年大会(メキシコ)の得点王で、74年大会(西ドイツ)の決勝、対オランダ戦2点目のスコアラーであった彼は、ドイツ人には珍しいズングリ型の体型で、それゆえに他の選手にマネのできない反転シュート、体のひねりをきかせたシュートの型を持ち、ペナルティエリア内で決める“リトルゴール”で世界中のディフェンダーやゴールキーパーを悩ませつづけた。74年大会のシンボルのひとつ、マスコット人形のチップ・アンド・タップは、スラリ型とズングリ型の2人の選手のカリカチュア(誇張して描いた風刺画、戯画)で、スラリ型はベッケンバウアー、もうひとりはゲルト・ミュラーといわれていたものだ。
◆その世界的な反転ストライカーの面影を持つ大黒を代表に召集したジーコは、キリンチャレンジカップの1試合で30分出場させたあと、「彼の能力は充分わかっている」と語ったものだ。

【俊輔と高原の投入】

◆前半4分の小笠原のFKシュートで早々にリードしながら、追加点が取れないまま前半を終わり、後半に入って北朝鮮の意欲的な攻めから同点ゴールを許したとき、ジーコはまず、それまで贅沢(ぜいたく)にも温存していた高原直泰(鈴木と交代)と中村俊輔(田中と交代)を送り出した。DFラインは中澤と宮本の2人のCDFに、右に加地、左に三都主と4DFの形になり、遠藤、福西の2枚のボランチ、その前方に小笠原と中村俊輔、そして高原と玉田という形になった。

◆中村が入ったことで攻撃の起点が増えたことは言うまでもないが、北朝鮮のファウルをまじえた激しい当たりと粘っこさに、いささか手を焼いた感のある日本の中盤が、中村の加入によって一気に安定する。俊輔は、足元でピタリとボールを止める能力と、そのあとのキープとドリブルのうまさ、そして長いリーチによって、簡単にボールを奪われない選手だが、セリエAで強さも増していて、後半も半ばを過ぎ、いささか疲れの見え始めた北朝鮮側にとっては、彼の登場は予見はしていても、実際にはかなりの負担増となったハズだ。
◆高原もまたブンデスリーガでの好調さを示した。彼が右へ開いてボールを受けた最初のプレーで、これまでの速さの上に“なめらかさ”が加わり、フォームが美しくなっているのに感嘆した。動きの速さでボールを受けたあとの余裕をつくり、その余裕から仕掛けに入ってゆく高原は、それまで鈴木隆行という競り合いにタフなFWを相手にずいぶん力を消耗したハズの北朝鮮DFには、やや荷の思い新手(あらて)だったろう。

◆2人の登場から日本のシュート数が増え、日本が押し込む形がつづくようになったところで、79分に玉田圭司に代わって大黒が投入された。多数防御を破るために、狭いスペースでシュートのできる大黒を——というジーコの意図は91分に果たされたのだった。

【時間に迫られながらの冷静さ】

◆この決勝ゴールは、攻めに出てきた相手のボールを中澤がボレーで左前へ送るところから始まる。
1)中澤のキックがそのまま左タッチライン際の三都主に落ち、三都主は胸に当てて、すぐ左前の高原に渡す。
2)高原はフェイントをかけつつ後ろへキープして、中央の遠藤に。
3)遠藤はこれをさらに右の加地へ。
4)加地は右前の小笠原へ送る。
すでにロスタイムに入っていて、このすぐ前の日本の攻めは、右サイドから加地のクロス、もうひとつは宮本恒靖から高原の頭上へ送ったタテのロングボール。いわば簡単な一本勝負だったが、このときは左サイドの高原のキープから、ボールが左から右へと中盤を通っていった。ゴール前にボールを送り込むのもサイドから、それも横へゆさぶっておいてから——というのが高原の描いたイメージだったのだろう。高原はボールが右サイドへ移ると、すばやくペナルティエリア左角(ファーサイド)へ移動している。
5)右サイドでフリーでボールを受けた小笠原は、短いドリブルののち、ためらうことなくゴール前へクロスを送った。
6)小笠原のキックは低く、しかもゴール正面で急激に落下した。
7)飛び出したGK沈勝哲(シム・スンチョル)はこれを前方へ叩いた。
8)叩いたボールは遠くへ飛ばず、ペナルティエリアぎりぎり、正面にいた福西の足元へ。
9)福西はとっさに右足の足首アウトに当ててゴール正面へ転がした。
10)そこに大黒がいた。ゴールエリアで彼は後方から来るボールを反転して(右肩を前にして)左足で蹴った。
11)“上げないように”とボールを上から叩く形となって、インステップのストレートでなくやや足の内側に(本人は蹴りそこないといっている)当たったボールは、
12)GK沈のすぐ近くを通り、ゴールに転がり込んだ。彼が伸ばした左手、左足もとらえられず、ゴールカバーに入っていたDFも防げなかった。

【幸運を呼ぶ小さな技術の集積】

◆74年のゲルト・ミュラーの反転決勝ゴールに比すべき、大黒将志独特の反転左足シュートは、まず大黒という特異なタイプのシューターがそこにいたこと(そこが彼の主戦場なのだが)、そこへボールが届くために幸運はあったにせよ、時間に迫られながら落ち着いて左から右に動かし、起点の小笠原に渡したこと、小笠原のクロスに合わせようと4人がエリアに進出したため、北朝鮮の守りが分散され、ゴール正面に空白地帯ができたこと、小笠原のクロスが、この日の彼のFKと同じようにドライブのかかった低いボールであったこと——このGKはキャッチよりフィスティングが多かったが、このときのボールはやはりキャッチは危険と見たのだろう——などによって生まれた。もちろん大きな伏線として、それまでの日本の攻めに対応するため、さしもの体力を誇る北朝鮮側にも疲れが出て、動きが鈍くなっていたこともある。
◆いわば大黒将志の反転シュートの決勝ゴールは、いまの日本のサッカーの総力を示すものといえた。それは個性の多様さと、その個性を組み合わせることがいいチームにつながることを、選手自身がつかみはじめたことから生まれたといえる。
◆もちろん、その個々のレベルは必ずしも世界の中でずば抜けているとはいい難い。その質の高低はともかく、サッカーのチームづくりとはこういうものだということを、ジーコと代表選手たちが自ら描いてみせているところに、ここ2年間の大きな変化があり、その結果が北朝鮮との試合で示されたと見たい。

◆この日の好試合を引き出した北朝鮮の選手たちのがんばりと好プレーもある。日本側の好プレーとともに、つぎの機会にふれたいと思う。

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