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2004年10月

9月26日(日) 長居でセレッソとF・マリノスが引き分け、1−1

2004/10/08(金)

【ハイブリッドカー、プリウスの乗り心地 】
◆19時に長居で行なわれたJ1第7節、セレッソ大阪対横浜F・マリノスの試合を見る。昼のグリーンアリーナと夜の長居。神戸の北側から大阪の南部までの 行程というので、クラブハウスの本多克己社長の車に同乗。おかげで新車プリウスの乗り心地を味わうことになった。
◆戦時中は飛行機のパイロットだったのに、車の運転には全く興味のない私だが、公害問題には関心があるだけに、このハイブリッドカーはいろんな意味で注目 していた。燃料が3分の1ぐらいで済むというのもすごいが、何より、見た目より座席がゆったりしているだけでなく、座り心地がいいし、ベンツにも似た安定 感がある。ナビゲーター(カーナビ)の精密さにはただ驚くばかり。本多社長は「車を運転するというより、コンピューターをさわっている感じです。不思議な もので、この車になってからかえって燃費が気になります」と言っていた。

◆トヨタカップのことで、当時トヨタの副会長であった学校の仲間の岩崎正視氏に会った時、“公害問題づいて”いた私が車公害の 話をしたところ、「うちは、いま研究をしていて、いいのができるヨ」と言っていたのを思い出す。かなり前のことだったが、工業技術の進歩を改めて知らされ る思いがする。日本のサッカーの進歩もこのようにゆけばなあ——などとつい考えてしまう。

       

          【マリノスにドゥトラ欠場の影】
◆そのJの第1ステージ優勝チームと、最下位チームの長居での対戦は1−1の引き分けとなった。前半2分という早い時間にセレッソが先制。森島が右から内 の久藤へ。久藤がクロスを送って西澤がヘディングで折り返したところにミキがいて、左足で決めた。F・マリノスは、後半開始後すぐにGK榎本のロングボー ルを安貞桓がヘディングし、坂田大輔が拾ってパス。これを安が決めて同点とした。そのあとは、マリノスの攻め込みが多かったが、セレッソも粘って引き分 け。前がかりとなる相手にセレッソのカウンターもいい場面があって、1万4,587人の観客には面白い試合だった。マリノスの調子は決して良くなかったか ら、セレッソもニガテ克服シリーズ3連戦の締めくくりに、ここまで頑張れる日に勝点3を取れれば、あとが楽になったのだが…。
◆試合後のインタビューで岡田武史監督は「今日は引き分けだったが、前の2試合に比べて良くなっていた。選手たちの頑張りを評価した」と言う。ハラのなか は煮えくりかえっているハズなのに、次のことを考えて語っているオカちゃんの顔を見ながら、監督という仕事の大変さを思った。
          ◆マリノスのここしばらくの不調は、いろいろあるだろうが、技術、戦術面からみれば、ドゥトラを欠いて、左サイドで走りながらボールを中へ送ってくるプレーヤーがいないのがチーム全体に大きく響いている——と私は思う。
          ◆サッカーは、そんな単純なものではないとおっしゃる方も多いだろうが…。

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9月26日(日) 神戸での全国選抜フットサル大会 

2004/10/05(火)

◆神戸のグリーンアリーナでの第20回全国選抜フットサル大会の決勝を観戦。第1回から15回まで沼津の市民体育館で行なわれ、第16回は北海道だったが、第17回から、ユニバー記念競技場に近い、ここグリーンアリーナが会場となり、今回が4回目となる。各都道府県代表の選抜チームによる大会で、9地域から1チームずつと、関東、関西がさらに1チームずつ。開催地・兵庫県から1チーム。合計12チームの参加で、昨年、一昨年は、大阪府選抜対東京都選抜による決勝が続いたが、今年は静岡選抜が決勝に残り、東京を倒して初優勝した。

◆ミニ・サッカー、室内サッカー、あるいはサロン・フットボールなどの名で世界各地で行なわれていた室内5人制のサッカーの競技規則の改正にFIFA(国際サッカー連盟)が乗り出し、また名称も「フットサル」と変更した1994年ごろから、日本でも普及が進んだ。

【少年のころの中突堤の蹴球とフットサル】
◆この少人数のサッカーは、私が少年時代にやっていた狭い露地(ろじ=人家の間の狭い道。関西の方言?)や、休日の中突堤での2〜3人での蹴球ゴッコ(軟式テニスのゴムマリを使っていた)と通じるものがあり、セルジオ越後がブラジルからサロン・フットボールの導入を図っていたころから、別の遊びとしても、あるいはサッカーの技術力アップの面からも、とても興味があった。

◆FIFAが公式のものとし、世界各地でまちまちの名称だったのをフットサルと決め、ワールドカップまで開催するようになって、日本でも、ずいぶん盛んになった。この日の試合でも、なかなか技術を見せてもらったが、こうしたトップレベルとともに、手軽さという点で、もっと盛んになってほしいと思う。

◆ 会場では日本協会(JFA)の榮隆男・フットサル委員長や、かつて日本代表の監督を務めたマリーニョ、この地域のフットサルの先駆者でもあり主(ぬし)でもある大阪協会の吉川元章、兵庫協会の中桐俊男の各氏にも会えた。この人たちのこれまでの努力はたいへんなもの。この大会が今の形とレベルになるのに20 年の歳月を重ねている。

◆国際的には、日本代表はまだアジアで優勝というところまでに到らぬようだが、この少人数の遊びでボールを足で扱う楽しみをもっと多くの人が知ることで、フットサルも、サッカーも、レベルアップしてゆくハズだ。

◆2002年ワールドカップで大活躍したロナウドのトウキックシュートや、ソールを使うトラップなどのプレーにフットサルで培われた技術を見た人も多い。

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9月23日(木・祝)お彼岸の日の名古屋対セレッソ戦 大久保は不発、名古屋5ゴール 

2004/10/01(金)

◆名古屋の瑞穂競技場でのJ1第2ステージ第6節の名古屋グランパス対セレッソ大阪(15時キックオフ)を見るために新幹線で出かける。

◆前の節、19日長居でのセレッソはGKに伊藤友彦が復帰したこと、全員ががんばったこと、そしてその上に大久保嘉人(おおくぼ・よしと)の3ゴールがあって久しぶりの快勝だった。相手のジェフ市原のオシム監督は「セレッソがなぜ、下位を争っているのか分からない」と言っていたが、この日の試合ぶりなら、誰もがそう感じるだろう。

【19日の大久保のすばらしいゴール】
◆そういう“いい試合”を続けて出来るのが強いチームで、その基盤はやはり個々の力と、その結集力にあるのだが…。
◆快勝の原因は、前半31分の大久保のファイン・ゴールがまずひとつ。ジェフの左サイドからのクロスに合わせた速攻に何度かピンチにさらされながら、しのいだあと、今度はセレッソが攻勢に出た。左から、右から、何度もクロスを送り、はねかえされる状態が続いたあと、右サイドでボールを受けたモリシ(森島寛晃)が、クロスキックのフェイクから内側へひとつ持って、エリア内に入ってきた大久保に渡した。嘉人はこのボールを受け、マーク相手の茶野隆行が右を押さえようとするのを、反転して、後ろにさがり、左足でボールを叩いた。
◆ボールを受け、ターンして相手をかわし、シュートに入ってゆく一連の動作はなめらかで左足の振りも早くて、まことに見事なシュートだった。
◆ゴール前へ、ハイボールを送る攻めから短いパスに変えたモリシのチェンジオブペースと大久保のいまの体のキレ、シュートのキレ味を示す1点目だった。

◆彼の2点目は古橋達弥の右CKをヘディングしたものだが、古橋の早くて低く、大きく曲がるボールに上村健一が飛びこみ、ノーマークとなった大久保が飛びこんだもの。
◆アテネでもロングボールをジャンプヘディングして点を取っている彼は、ヘディングも強く、落下点の読みも良い。
◆3点目はエリア近くから相手DFを前にして、右足でニアーサイドへズバリとシュートを決めている。

【クライトンとジョルジーニョ】
◆その大久保は名古屋では沈黙。代わりに古橋が前半3分にドリブルシュートで先制。PKで同点にされ、マルケスの巧みなシュートでリードされたあと、西澤明訓の右足のボレーシュートが決まって前半2−2とした。シーソーゲームの面白い試合展開だったが、後半の開始後2分に、中央のポッカリあいた大きなスペースに現れたクライトンのミドルシュートが決まって3−2となった。名古屋の勢いが増し、64分に右サイドの海本幸治郎の突破からマルケスがまたまた決めて2点差。その2分後にもジョルジーニョ(ウェズレイの弟)が5点目を決めた。

◆ 名古屋は個人的にいい素材を集めながら、波の大きいチームだった。今年はクライトンという、ブラジル人の頑健型のボランチを加えて、これまでの弱い部分を補ったが、今度はウェズレイが調子を落として、マルケスとの2強FWにヒビが入った。そこで弟のジョルジーニョが登場したのだが、この1985年12月4日生まれ、18歳のスリムな少年は、トラッピングのときにスピードを落とさず突っ切るブラジル産FWらしさを備えている。後半のセレッソは彼のタテへの早さと海本のサイド攻撃に苦しんだ。

◆大久保は得点できなかっただけでなくイエローまでもらい、第7節のマリノス戦は欠場する(このイエローには疑義のある人も多い。別の機会にイエロー論議もしてみたい) 。

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