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故障者続出のなかで得点できず0−1で敗れたが、悪条件のなかでの戦い方をつかむ

2004/08/06(金)

 キリンチャレンジカップ2004
 7月25日(長居スタジアム)19:20
 U-23日本代表 0(0−0 0−1)1 U-23オーストラリア代表

◆7月9日の対スロバキア(3−1)、7月13日の対セルビア・モンテネグロ(1−0)のキリンカップサッカー2004の2試合で、日本代表はチームの一体感を持つようになった——と私のレポートで紹介した。その一体感、チームワークは、アジアカップ2004での戦いぶりにあらわれている。選手たちが自らのがんばりで決勝に進み、開催国チームとファイナルの舞台で争うのはまことにすばらしい。強い相手と、そのホームグラウンドでタイトルをかけて戦うという得難い経験で、代表チームとそれぞれの選手が腕をのばし、さらに結束を固めることを願っている。

◆そうした代表のアジアカップでの各試合について、テレビ観戦を通して見たままのものを早急にお届けしたいが、その前に、いよいよ近づいてきたアテネ五輪の日本代表(U-23)のキリンチャレンジカップ2004、対U-23オーストラリア代表と対ベネズエラ代表、さらに女子オリンピック代表の対カナダ戦——いわばアテネに向かう日本代表の壮行試合をふりかえってみたい。

 

【ヨーロッパ組の多いオーストラリア】

◆オリンピック・アジア予選の苦しくはあっても会心の勝利といえる試合を見てきたサポーターにとって、U-23オーストラリア、つまり同世代のチーム、それもヨーロッパの名のある国ではない新興国に0−1の敗戦は承服しがたいのかもしれない。

◆ しかし、オーストラリアのこの年代は、もともと力があり、いい選手がそろっていて、17人中12人がヨーロッパで働いている。来日したオーバーエイジ枠のうち、クレイグ・ムーアはキャプテンで28歳。守備の要であり、スコットランドの名門グラスゴー・レンジャーズのセンターDFである。同じ28歳のアロイジは188センチ、スペインリーグのオサスナでプレー。来日していないが、もう1人のオーバーエージは24歳のカーヒルで、イングランドの1部リーグ(プレミアの下)ミルウォールでプレーしている。
◆ついでながら監督のフランク・ファリナは1964年9月6日生まれ、39歳。選手時代はストライカーとして、83年メキシコの世界ユース、88年ソウル五輪にオーストラリア代表として出場。1988年からブルージュ(ベルギー)、N・フォレスト(イングランド)、バリ(イタリア)、ストラスブール(フランス)、リール(フランス)など合計7年間ヨーロッパでプレーした経験を持つ。1995年に母国にもどり、クラブチームのプレーヤー兼コーチをつとめたあと、2000年からA代表の監督となった。2002年ワールドカップではFIFAのテクニカル・スタディ・グループにも加わっている。

◆1956年、2000年と2度もオリンピックを開催したオーストラリアは、日本と同じようにオリンピック熱の高いところ。若年層に人気の出てきたオーストラリアのサッカー界がアテネにかける期待は、日本と同じように、強い。

【松井と今野を欠き阿部不調】

◆ そんな背景を持つオーストラリア五輪代表を迎えての対戦だったが、松井大輔と今野泰幸が故障。阿部勇樹も調子が落ちていたうえに、石川直宏も万全ではなかったから、中盤でのキープと組み立てる力が落ちていた。全部そろっても、この部分は必ずしも強くない(だからこそ、小野伸二をオーバーエージでいれる)チームだから、はじめからハンデを背負ってのオーストラリア戦だった。
◆もちろん、オリンピックやワールドカップのようなトーナメント(大会)では、退場者や故障者が出て、ベストメンバーで戦えないこともある。この試合は、いわばそのモデルとなった。

◆スターティングラインアップは、田中闘莉王を中に、茂庭と那須を右・左に配し、阿部と菊地がボランチ役。右に徳永、左に駒野が開き、森崎がトップ下、2トップは高松と大久保という布陣だった。

【大久保のシュート、那須のチャンス】

◆ピッチ上では、まず大久保のスピードが目についた。やりすぎたあげくイエローをもらわないかと余計な心配をするほど、ランの速さも反転の速さも際立っていた。
◆残念ながら、その彼に決定的なパスを合わせるものはなく、もっぱら大久保は自分で拾いシュートに持ってゆくか、パスを出すかということになった。前半8分のドリブルシュートはDFにあたり、後半もひとつ相手に当てている。エリア内に食い込めず、外から狙ったときに、相手の守りの位置がよかった。
◆前半のビッグチャンスは、26分に中央右よりのFKを森崎がファーへ蹴って、GKを越えたボールを大久保がヘディングしたとき。168センチの彼が驚くべき跳躍力でボールを頭でとらえたが、バーの角にあたって外に出た。

◆ 組み立てからのチャンスも、左サイドの那須が、駒野が浮かせたロブを落下点でとり、エリア内ゴールラインぎりぎりに侵入したが、彼からゴール正面に出た平行クロスに誰もとび出さなかった。那須本人がシュートするテもあったが、このチャンス・スポットでボールを取ったときの、攻撃にかかわるものの意思統一はフル代表がようやく出来あがりかけているところ。ゴールキーパーの能力の向上した現代では、ペナルティエリアの端のラインとゴールラインの交わるところ、ゴールポストから16.5メートル離れたこのスポット付近へいかに入り込み、そのあと、どの選択をするか(サッカーマガジン8月17日号の私の欄にも少しふれている)が重要となってくる。もちろん、ここへ侵入したプレーヤーが、どの角度のキックができるかも大切な要素である。

【闘莉王のとび出しとヘディングも】

◆ それはともかく、もっとも体が切れていてシュートの上手な大久保に、いいボールがゆかなければ、左右からのクロスと高松のヘディングという期待もあるのだが、これは、森崎の左足以外は正確に届けるものがいないのと、相手のサイドでの守りが粘り強いのと、さらに中央部分のヘディングが強いという条件で、成功率は低い(意表をついたファーへのFKにいったのがノッポではなく大久保であった)。

◆大久保が流したスルーパスに闘莉王が走って、DFのウラヘ出た28分の場面は、闘莉王の積極性は素晴らしいが、せっかくとび出しながら、右サイドキックで中へ入れようとしてDFに防がれてしまった。トウキックでニアサイドを狙えば充分チャンスありと見たのだが…

◆その闘莉王、後半にもゴールへ攻めあがり、左サイドの森崎からのボールをファーでジャンプヘッドした。ボールはゴール前と左へ流れ、合わせようとした大久保は取れなかった。

【オーストラリアのゴール】

◆後半に平山相太が高松に代わり、62分に阿部に代わって田中達也、82分に徳永に代わって石川直宏が登場した。
◆平山は右にはずしてのシュートが1本あったが右に外れ、田中達也の3本のシュートは1本はオーバー、2本はGKに防がれてCKとなった。

◆ オーストラリアの慎重で粘り強い守備を崩すには、役者が不足。この顔ぶれでいいチャンスをつくるには、いわゆる高い位置でボールを奪ってすぐシュートレンジにかかるものでなければ難しい。終盤になって相手の動きが鈍れば、得意のランプレーでノーマークシュートを生み出せるのだが、そのためには互いのプレー(パスの型、精度、タイミング)を熟知した選手同士の連係プレーを完成させなければなるまい。

◆失ったゴールは、後半34分、オーストラリアの右からの攻めを防いで大きくクリアしたあと、左サイドのスローインからの攻撃だった。スルーパスを追ったグリフィスがエリアぎりぎり、ゴールライン3メートルからグラウンダーをけったときには、ダンズとホールマンの2人が日本DFより前に出ていて、ホールマンがきめた。
◆ここというときの彼らのスピードと、シンプルだが理にかなった攻めが生きた。

◆この直後に日本は左からのクロスを平山がヘディング。ボールはゴールネットへ入ったが、平山のプッシングの反則をとられた。そして石川を投入して攻めの人数を増やしたが、やはり松井がいなければ変化はつかず、変化がなければ、力とスピードで押し切れる相手ではなかった。

◆大会前にこういう苦しい試合をしておく、ゴールは生まれなくても、使える選手を動員して、そのがんばりと相性を確認しておくという意味では山本監督にとっても、わたし達にとっても有益だった。

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