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2004年8月

調子上昇のU-23の力を見た

2004/08/11(水)

 キリンチャレンジカップ2004
 7月30日(国立競技場)19:20
 U-23日本代表 4(1−0 3−0)1 ベネズエラ代表

◆「30日は故障者が回復してメンバーもそろうので、いい試合をお見せしたい」——25日、長居の試合のあとで山本監督がこう言ったが…国立に集まった45,905人もテレビの前のファンにも満足ゆく試合だっただろう。

◆GKにオーバーエイジの曽ヶ端準がはいり、DFラインは田中闘莉王に茂庭と那須、MFは右に徳永悠平、左に森崎浩司、中央部が阿部勇樹と今野泰幸、そしてトップ下に松井大輔。2トップは平山相太と大久保嘉人の組み合わせ。

◆ 今野という、中盤での広い範囲の攻防——プレスとボール奪取と奪ったあとのボール処理——に非凡な力を持つ若手の復帰によって、全体が押し上げる形になり、ボールキープの巧みな松井によって“間”(ま)が生まれ、相手のペナルティエリア内、エリア近く、あるいはDFラインのウラなどへ仲間が侵入しやすくなった。
◆アジア予選を通して築かれてきた選手たちの相互理解が、休んでいた2人の復帰と、チーム全体のコンディションの上昇で、この日は目に見えた形になってあらわれた。

【スタンドを沸かせた平山のシュート】

◆スタンドが大きく沸いたのは前半28分、平山がエリアぎりぎりからシュートしたとき。ボールは左ポストにあたって得点にはならなかったが、私を含め、多くの人が期待していた彼の得意の型、右足のシュートだった。

◆そのシュートの経路は——
1)相手の右サイドでのボールキープをハーフラインで那須、今野、松井の3人が囲み、
2)こぼれたボールを森崎が拾って、
3)闘莉王へバックパス。
4)闘莉王—森崎—阿部—徳永—茂庭—闘莉王と右後方でパスを交換。
5)闘莉王はセンターサークルの今野ヘ。
6)受けるところを狙われた今野はボールを左後方の那須へ。
7)那須はワントラップして、ライン際すぐ前の松井へわたした。
8)相手が全体に下がって出てこないのを見て、松井は中へドリブル。
9)寄ってきた今野にあててリターンをもらい、
10)奪いにきた1人を反転してかわし、もう1人が出てくる前にパスを左の今野ヘ。
11)今野はこれを中央の阿部に送った。
12)阿部は中央のコースが開いているのをみて平山の足元へパス。
13)手前にいた大久保がボールに寄ったが、タッチしないで平山にまかせる。
14)大久保のフェイクに、前へ出て取ろうとしたDFはボールを止め損ねてバランスをくずす。
15)そのボールを取った平山は反転して、エリア外4メートル、中央右よりの地点から右足シュート
16)ボールはGKの右手の先を通って左ポストに当たり、リバウンドしてゴール正面を右へ転がり抜けてゴールラインを割った。

◆ ボール奪取のあと、すばやく後退して守りにはいった相手を崩すために、ボールを動かし、松井のキープによって人数を引き寄せ、中央部に空白を作り、そのパスのコースに大久保がからむことで、ディフェンダーのタックルのタイミングを狂わせて、シュートチャンスを作ったのだった。

【大久保のゴール 松井と闘莉王】

◆平山の左ポストシュートの8分後に、大久保の先制ゴールが生まれる。
◆松井からのパスを大久保がエリア内で受けて左足シュートを決めた。これも、相手が全体に引いて守る形になっているのを崩したもの。守りに入った相手に対して、センターサークルからドリブルで突っかけにいった闘莉王のドリブルからはじまったが、その経路をふりかえると、

1)引いてしまった相手を前に、まずボールを動かそうと、右から中、中から左へ
と、相手陣内の35メートルあたりでボールをつなぐ。
2)第3列の闘莉王が出て、左の森崎からボールを受けてドリブル。
3)相手FWの追走をうけつつ、闘莉王は右前方の松井にパス。
4)松井のラインまで下がってきた平山、中央へ走り上がる闘莉王。
5)その左前のスペースへ向かって大久保がスタート
6)相手のセンターDFと右DFの間を走り抜ける大久保の前に、松井からフワリと柔らかいボールが落下する。
7)エリア内10メートル、ゴール正面やや左よりで、大久保は右足アウトでこのボールを止め、バウンドを左足でとらえてGKの左(ニア)をストレートに抜いた。

◆闘莉王の突進によるテンポの変化のなかで、松井のピンポイント・パスと大久保のトラッピング、そしてシュートが組み合わさったゴールだった。

◆実はこの2分前に、この日の松井の“冴え”を示す局面があった。34分にハーフライン少し手前でボールを持ったとき。前方には平山だけなのを見て、彼はハーフライン左よりから右斜めにゆっくりドリブル。大久保が後方から左前へ上がってくるのを待って、パスを出した。
◆自分のキープで間(ま)をかせぐこと、ドリブルの方向によってスペースをつくり出すこと。こちらの攻めの人数と相手の守りの数を計算した瞬時の判断とそのあとのプレーは、まさに“松井”の本領だった。
◆大久保がこのパスをダイレクトで平山に渡そうとして失敗したが、松井が右よりのポジションをとるときに、左よりの大久保がとび出すことを確認できたと思う。

◆闘莉王のとび出しという、もう1つのオーバーラップによって相手マークを狂わせたことも1つの要因だが、松井—大久保のコースのビューティフルゴールだった。

【平山のヘディング・ゴール】

◆2点目は平山のヘディング。後半14分、この若いストライカーのゴールで国立競技場はさらに喜びを増した。

◆ 左CKをショートコーナーにして、松井からのクロスを平山が頭で叩くのだが、CKとなる前の攻めも見応えがあった。右の徳永がドリブルで持ちこみ、中へパス。阿部が短く田中へ、田中が平山へと短くつなぎ、阿部がオーバーラップでとび出したあと、平山が後方の田中達也に渡し、田中がシュート。GKが防いだ。
◆この日の徳永は驚くべきタフさでサイド攻撃を何度も仕掛けた。いわゆるウイングタイプの選手ではないが、彼の仕掛けによって相手のDFラインは開くことになり、中央部に隙間が生まれていたことも(左の森崎は当然)、記憶しておきたい。

◆CKに話をもどすと、
1)キッカー森崎が、近よった松井がノーマークなのを見て、渡したところが第1のポイント。
2)松井がペナルティエリアの2メートル外から、得意のフワリをゴールエリアすぐ外、ファーポスト側へ落とすと、
3)その落下にあわせて平山がジャンプヘッドした。
4)ボールのニアサイドにいたビスカロンド(190センチ)は目測を誤ったが、平山は的確にボールをとらえ、後方にいたゴンザレス(184センチ)も、どうしようもなかった。

◆平山のヘディング力を生かすために、ファーポスト側へ送るボールを松井にまかせた森崎の判断もよく、互いの技術を理解しているみごとな連係プレーだった。

【高松も田中達也も】

◆日本は後半25分に平山に代えて高松大樹を送りこむ。その高松は、8分後に左の田中からの速いクロスに合わせ、ダイビングヘッドで3点目を決めてゴールへの執念をみせた。
◆松井が中央左よりで、相手のミスパスを奪って左前の田中達也に送り、田中がエリア左を突破して低いライナーをゴール前に通したもの。ファーポストにぶつかるような勢いでとびこむ高松らしいゴールと、田中達也らしいクロスパスだった。

◆その田中のゴールへの意欲は衰えることなく、タイムアップ直前に4点目を決めた。
◆森崎が相手ボールを奪い、田中がドリブルしてエリア内に入り、右足シュートをニアに決めたのだった。

◆ ベネズエラA代表というふれ込みだが、実際には、いま2006年ワールドカップの南米予選を戦っているチームではなく、バエスモンソン監督によると若い選手が多く、パスミスなどエラーが多すぎたという。中盤から短くつないでキープするというスタイルが日本の戦いぶりにいい相性だったこともあるが、得点力不足といわれてきた日本が、彼らの特色を組み合わせて4ゴールを奪ったことは、チームの大きなプラスとなるハズだ。

【メルク主審、日本の“手”】

◆この日、私のもうひとつの注目はレフェリー。欧州選手権決勝の主審をつとめたメルク氏によって、現在のFIFAの基準が見られると考えていた。
◆私が出席できなかった同審判の説明会では、「露骨な手の使用には厳しくとる」と言ったと聞いた。この日も平山の手の使い方でファウルをとられたが、いまの日本のプレーヤーは手を体から離して使うので、あからさまに見えることが多い(アジアカップでの遠藤の退場の原因もここからきている)。特に相手の背後にいるときに手を自分の体の前に出すことが多く、それがプッシングと判断されやすい。こうしたことは、オリンピックだけでなく、今後のプレーヤーに指針として徹底しておくべきだろう。
◆なんといっても、サッカーは手を使わないスポーツということなのだから。

◆キリンチャレンジカップの2試合でU−23代表は、調子のいいベストメンバーでのゴール奪取の力を見せたとともに、故障者が出たときには地味でも粘れる試合を展開した。あとは、第2戦で掴んだ攻撃の連係とフィニッシュを、小野を加えてどのように仕上げてゆくかだろう。

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ランと組織とゴールへ向かうひたむきさ 日本サッカーの伝統を見た

2004/08/10(火)

 キリンチャレンジカップ2004
 7月30日(国立競技場)19:20
 U-23日本代表 4(1−0 3−0)1 ベネズエラ代表

◆「30日は故障者が回復してメンバーもそろうので、いい試合をお見せしたい」——25日、長居の試合のあとで山本監督がこう言ったが…国立に集まった45,905人もテレビの前のファンにも満足ゆく試合だっただろう。

◆GKにオーバーエイジの曽ヶ端準がはいり、DFラインは田中闘莉王に茂庭と那須、MFは右に徳永悠平、左に森崎浩司、中央部が阿部勇樹と今野泰幸、そしてトップ下に松井大輔。2トップは平山相太と大久保嘉人の組み合わせ。

◆ 今野という、中盤での広い範囲の攻防——プレスとボール奪取と奪ったあとのボール処理——に非凡な力を持つ若手の復帰によって、全体が押し上げる形になり、ボールキープの巧みな松井によって“間”(ま)が生まれ、相手のペナルティエリア内、エリア近く、あるいはDFラインのウラなどへ仲間が侵入しやすくなった。
◆アジア予選を通して築かれてきた選手たちの相互理解が、休んでいた2人の復帰と、チーム全体のコンディションの上昇で、この日は目に見えた形になってあらわれた。

【スタンドを沸かせた平山のシュート】

◆スタンドが大きく沸いたのは前半28分、平山がエリアぎりぎりからシュートしたとき。ボールは左ポストにあたって得点にはならなかったが、私を含め、多くの人が期待していた彼の得意の型、右足のシュートだった。

◆そのシュートの経路は——
1)相手の右サイドでのボールキープをハーフラインで那須、今野、松井の3人が囲み、
2)こぼれたボールを森崎が拾って、
3)闘莉王へバックパス。
4)闘莉王—森崎—阿部—徳永—茂庭—闘莉王と右後方でパスを交換。
5)闘莉王はセンターサークルの今野ヘ。
6)受けるところを狙われた今野はボールを左後方の那須へ。
7)那須はワントラップして、ライン際すぐ前の松井へわたした。
8)相手が全体に下がって出てこないのを見て、松井は中へドリブル。
9)寄ってきた今野にあててリターンをもらい、
10)奪いにきた1人を反転してかわし、もう1人が出てくる前にパスを左の今野ヘ。
11)今野はこれを中央の阿部に送った。
12)阿部は中央のコースが開いているのをみて平山の足元へパス。
13)手前にいた大久保がボールに寄ったが、タッチしないで平山にまかせる。
14)大久保のフェイクに、前へ出て取ろうとしたDFはボールを止め損ねてバランスをくずす。
15)そのボールを取った平山は反転して、エリア外4メートル、中央右よりの地点から右足シュート
16)ボールはGKの右手の先を通って左ポストに当たり、リバウンドしてゴール正面を右へ転がり抜けてゴールラインを割った。

◆ ボール奪取のあと、すばやく後退して守りにはいった相手を崩すために、ボールを動かし、松井のキープによって人数を引き寄せ、中央部に空白を作り、そのパスのコースに大久保がからむことで、ディフェンダーのタックルのタイミングを狂わせて、シュートチャンスを作ったのだった。

【大久保のゴール 松井と闘莉王】

◆平山の左ポストシュートの8分後に、大久保の先制ゴールが生まれる。
◆松井からのパスを大久保がエリア内で受けて左足シュートを決めた。これも、相手が全体に引いて守る形になっているのを崩したもの。守りに入った相手に対して、センターサークルからドリブルで突っかけにいった闘莉王のドリブルからはじまったが、その経路をふりかえると、

1)引いてしまった相手を前に、まずボールを動かそうと、右から中、中から左へ
と、相手陣内の35メートルあたりでボールをつなぐ。
2)第3列の闘莉王が出て、左の森崎からボールを受けてドリブル。
3)相手FWの追走をうけつつ、闘莉王は右前方の松井にパス。
4)松井のラインまで下がってきた平山、中央へ走り上がる闘莉王。
5)その左前のスペースへ向かって大久保がスタート
6)相手のセンターDFと右DFの間を走り抜ける大久保の前に、松井からフワリと柔らかいボールが落下する。
7)エリア内10メートル、ゴール正面やや左よりで、大久保は右足アウトでこのボールを止め、バウンドを左足でとらえてGKの左(ニア)をストレートに抜いた。

◆闘莉王の突進によるテンポの変化のなかで、松井のピンポイント・パスと大久保のトラッピング、そしてシュートが組み合わさったゴールだった。

◆実はこの2分前に、この日の松井の“冴え”を示す局面があった。34分にハーフライン少し手前でボールを持ったとき。前方には平山だけなのを見て、彼はハーフライン左よりから右斜めにゆっくりドリブル。大久保が後方から左前へ上がってくるのを待って、パスを出した。
◆自分のキープで間(ま)をかせぐこと、ドリブルの方向によってスペースをつくり出すこと。こちらの攻めの人数と相手の守りの数を計算した瞬時の判断とそのあとのプレーは、まさに“松井”の本領だった。
◆大久保がこのパスをダイレクトで平山に渡そうとして失敗したが、松井が右よりのポジションをとるときに、左よりの大久保がとび出すことを確認できたと思う。

◆闘莉王のとび出しという、もう1つのオーバーラップによって相手マークを狂わせたことも1つの要因だが、松井—大久保のコースのビューティフルゴールだった。

【平山のヘディング・ゴール】

◆2点目は平山のヘディング。後半14分、この若いストライカーのゴールで国立競技場はさらに喜びを増した。

◆ 左CKをショートコーナーにして、松井からのクロスを平山が頭で叩くのだが、CKとなる前の攻めも見応えがあった。右の徳永がドリブルで持ちこみ、中へパス。阿部が短く田中へ、田中が平山へと短くつなぎ、阿部がオーバーラップでとび出したあと、平山が後方の田中達也に渡し、田中がシュート。GKが防いだ。
◆この日の徳永は驚くべきタフさでサイド攻撃を何度も仕掛けた。いわゆるウイングタイプの選手ではないが、彼の仕掛けによって相手のDFラインは開くことになり、中央部に隙間が生まれていたことも(左の森崎は当然)、記憶しておきたい。

◆CKに話をもどすと、
1)キッカー森崎が、近よった松井がノーマークなのを見て、渡したところが第1のポイント。
2)松井がペナルティエリアの2メートル外から、得意のフワリをゴールエリアすぐ外、ファーポスト側へ落とすと、
3)その落下にあわせて平山がジャンプヘッドした。
4)ボールのニアサイドにいたビスカロンド(190センチ)は目測を誤ったが、平山は的確にボールをとらえ、後方にいたゴンザレス(184センチ)も、どうしようもなかった。

◆平山のヘディング力を生かすために、ファーポスト側へ送るボールを松井にまかせた森崎の判断もよく、互いの技術を理解しているみごとな連係プレーだった。

【高松も田中達也も】

◆日本は後半25分に平山に代えて高松大樹を送りこむ。その高松は、8分後に左の田中からの速いクロスに合わせ、ダイビングヘッドで3点目を決めてゴールへの執念をみせた。
◆松井が中央左よりで、相手のミスパスを奪って左前の田中達也に送り、田中がエリア左を突破して低いライナーをゴール前に通したもの。ファーポストにぶつかるような勢いでとびこむ高松らしいゴールと、田中達也らしいクロスパスだった。

◆その田中のゴールへの意欲は衰えることなく、タイムアップ直前に4点目を決めた。
◆森崎が相手ボールを奪い、田中がドリブルしてエリア内に入り、右足シュートをニアに決めたのだった。

◆ ベネズエラA代表というふれ込みだが、実際には、いま2006年ワールドカップの南米予選を戦っているチームではなく、バエスモンソン監督によると若い選手が多く、パスミスなどエラーが多すぎたという。中盤から短くつないでキープするというスタイルが日本の戦いぶりにいい相性だったこともあるが、得点力不足といわれてきた日本が、彼らの特色を組み合わせて4ゴールを奪ったことは、チームの大きなプラスとなるハズだ。

【メルク主審、日本の“手”】

◆この日、私のもうひとつの注目はレフェリー。欧州選手権決勝の主審をつとめたメルク氏によって、現在のFIFAの基準が見られると考えていた。
◆私が出席できなかった同審判の説明会では、「露骨な手の使用には厳しくとる」と言ったと聞いた。この日も平山の手の使い方でファウルをとられたが、いまの日本のプレーヤーは手を体から離して使うので、あからさまに見えることが多い(アジアカップでの遠藤の退場の原因もここからきている)。特に相手の背後にいるときに手を自分の体の前に出すことが多く、それがプッシングと判断されやすい。こうしたことは、オリンピックだけでなく、今後のプレーヤーに指針として徹底しておくべきだろう。
◆なんといっても、サッカーは手を使わないスポーツということなのだから。

◆キリンチャレンジカップの2試合でU−23代表は、調子のいいベストメンバーでのゴール奪取の力を見せたとともに、故障者が出たときには地味でも粘れる試合を展開した。あとは、第2戦で掴んだ攻撃の連係とフィニッシュを、小野を加えてどのように仕上げてゆくかだろう。

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故障者続出のなかで得点できず0−1で敗れたが、悪条件のなかでの戦い方をつかむ

2004/08/06(金)

 キリンチャレンジカップ2004
 7月25日(長居スタジアム)19:20
 U-23日本代表 0(0−0 0−1)1 U-23オーストラリア代表

◆7月9日の対スロバキア(3−1)、7月13日の対セルビア・モンテネグロ(1−0)のキリンカップサッカー2004の2試合で、日本代表はチームの一体感を持つようになった——と私のレポートで紹介した。その一体感、チームワークは、アジアカップ2004での戦いぶりにあらわれている。選手たちが自らのがんばりで決勝に進み、開催国チームとファイナルの舞台で争うのはまことにすばらしい。強い相手と、そのホームグラウンドでタイトルをかけて戦うという得難い経験で、代表チームとそれぞれの選手が腕をのばし、さらに結束を固めることを願っている。

◆そうした代表のアジアカップでの各試合について、テレビ観戦を通して見たままのものを早急にお届けしたいが、その前に、いよいよ近づいてきたアテネ五輪の日本代表(U-23)のキリンチャレンジカップ2004、対U-23オーストラリア代表と対ベネズエラ代表、さらに女子オリンピック代表の対カナダ戦——いわばアテネに向かう日本代表の壮行試合をふりかえってみたい。

 

【ヨーロッパ組の多いオーストラリア】

◆オリンピック・アジア予選の苦しくはあっても会心の勝利といえる試合を見てきたサポーターにとって、U-23オーストラリア、つまり同世代のチーム、それもヨーロッパの名のある国ではない新興国に0−1の敗戦は承服しがたいのかもしれない。

◆ しかし、オーストラリアのこの年代は、もともと力があり、いい選手がそろっていて、17人中12人がヨーロッパで働いている。来日したオーバーエイジ枠のうち、クレイグ・ムーアはキャプテンで28歳。守備の要であり、スコットランドの名門グラスゴー・レンジャーズのセンターDFである。同じ28歳のアロイジは188センチ、スペインリーグのオサスナでプレー。来日していないが、もう1人のオーバーエージは24歳のカーヒルで、イングランドの1部リーグ(プレミアの下)ミルウォールでプレーしている。
◆ついでながら監督のフランク・ファリナは1964年9月6日生まれ、39歳。選手時代はストライカーとして、83年メキシコの世界ユース、88年ソウル五輪にオーストラリア代表として出場。1988年からブルージュ(ベルギー)、N・フォレスト(イングランド)、バリ(イタリア)、ストラスブール(フランス)、リール(フランス)など合計7年間ヨーロッパでプレーした経験を持つ。1995年に母国にもどり、クラブチームのプレーヤー兼コーチをつとめたあと、2000年からA代表の監督となった。2002年ワールドカップではFIFAのテクニカル・スタディ・グループにも加わっている。

◆1956年、2000年と2度もオリンピックを開催したオーストラリアは、日本と同じようにオリンピック熱の高いところ。若年層に人気の出てきたオーストラリアのサッカー界がアテネにかける期待は、日本と同じように、強い。

【松井と今野を欠き阿部不調】

◆ そんな背景を持つオーストラリア五輪代表を迎えての対戦だったが、松井大輔と今野泰幸が故障。阿部勇樹も調子が落ちていたうえに、石川直宏も万全ではなかったから、中盤でのキープと組み立てる力が落ちていた。全部そろっても、この部分は必ずしも強くない(だからこそ、小野伸二をオーバーエージでいれる)チームだから、はじめからハンデを背負ってのオーストラリア戦だった。
◆もちろん、オリンピックやワールドカップのようなトーナメント(大会)では、退場者や故障者が出て、ベストメンバーで戦えないこともある。この試合は、いわばそのモデルとなった。

◆スターティングラインアップは、田中闘莉王を中に、茂庭と那須を右・左に配し、阿部と菊地がボランチ役。右に徳永、左に駒野が開き、森崎がトップ下、2トップは高松と大久保という布陣だった。

【大久保のシュート、那須のチャンス】

◆ピッチ上では、まず大久保のスピードが目についた。やりすぎたあげくイエローをもらわないかと余計な心配をするほど、ランの速さも反転の速さも際立っていた。
◆残念ながら、その彼に決定的なパスを合わせるものはなく、もっぱら大久保は自分で拾いシュートに持ってゆくか、パスを出すかということになった。前半8分のドリブルシュートはDFにあたり、後半もひとつ相手に当てている。エリア内に食い込めず、外から狙ったときに、相手の守りの位置がよかった。
◆前半のビッグチャンスは、26分に中央右よりのFKを森崎がファーへ蹴って、GKを越えたボールを大久保がヘディングしたとき。168センチの彼が驚くべき跳躍力でボールを頭でとらえたが、バーの角にあたって外に出た。

◆ 組み立てからのチャンスも、左サイドの那須が、駒野が浮かせたロブを落下点でとり、エリア内ゴールラインぎりぎりに侵入したが、彼からゴール正面に出た平行クロスに誰もとび出さなかった。那須本人がシュートするテもあったが、このチャンス・スポットでボールを取ったときの、攻撃にかかわるものの意思統一はフル代表がようやく出来あがりかけているところ。ゴールキーパーの能力の向上した現代では、ペナルティエリアの端のラインとゴールラインの交わるところ、ゴールポストから16.5メートル離れたこのスポット付近へいかに入り込み、そのあと、どの選択をするか(サッカーマガジン8月17日号の私の欄にも少しふれている)が重要となってくる。もちろん、ここへ侵入したプレーヤーが、どの角度のキックができるかも大切な要素である。

【闘莉王のとび出しとヘディングも】

◆ それはともかく、もっとも体が切れていてシュートの上手な大久保に、いいボールがゆかなければ、左右からのクロスと高松のヘディングという期待もあるのだが、これは、森崎の左足以外は正確に届けるものがいないのと、相手のサイドでの守りが粘り強いのと、さらに中央部分のヘディングが強いという条件で、成功率は低い(意表をついたファーへのFKにいったのがノッポではなく大久保であった)。

◆大久保が流したスルーパスに闘莉王が走って、DFのウラヘ出た28分の場面は、闘莉王の積極性は素晴らしいが、せっかくとび出しながら、右サイドキックで中へ入れようとしてDFに防がれてしまった。トウキックでニアサイドを狙えば充分チャンスありと見たのだが…

◆その闘莉王、後半にもゴールへ攻めあがり、左サイドの森崎からのボールをファーでジャンプヘッドした。ボールはゴール前と左へ流れ、合わせようとした大久保は取れなかった。

【オーストラリアのゴール】

◆後半に平山相太が高松に代わり、62分に阿部に代わって田中達也、82分に徳永に代わって石川直宏が登場した。
◆平山は右にはずしてのシュートが1本あったが右に外れ、田中達也の3本のシュートは1本はオーバー、2本はGKに防がれてCKとなった。

◆ オーストラリアの慎重で粘り強い守備を崩すには、役者が不足。この顔ぶれでいいチャンスをつくるには、いわゆる高い位置でボールを奪ってすぐシュートレンジにかかるものでなければ難しい。終盤になって相手の動きが鈍れば、得意のランプレーでノーマークシュートを生み出せるのだが、そのためには互いのプレー(パスの型、精度、タイミング)を熟知した選手同士の連係プレーを完成させなければなるまい。

◆失ったゴールは、後半34分、オーストラリアの右からの攻めを防いで大きくクリアしたあと、左サイドのスローインからの攻撃だった。スルーパスを追ったグリフィスがエリアぎりぎり、ゴールライン3メートルからグラウンダーをけったときには、ダンズとホールマンの2人が日本DFより前に出ていて、ホールマンがきめた。
◆ここというときの彼らのスピードと、シンプルだが理にかなった攻めが生きた。

◆この直後に日本は左からのクロスを平山がヘディング。ボールはゴールネットへ入ったが、平山のプッシングの反則をとられた。そして石川を投入して攻めの人数を増やしたが、やはり松井がいなければ変化はつかず、変化がなければ、力とスピードで押し切れる相手ではなかった。

◆大会前にこういう苦しい試合をしておく、ゴールは生まれなくても、使える選手を動員して、そのがんばりと相性を確認しておくという意味では山本監督にとっても、わたし達にとっても有益だった。

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