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セルビア・モンテネグロ戦でみせた以心伝心のゴール

2004/07/23(金)

 キリンカップサッカー2004
 7月13日(横浜国際総合競技場)20:00
 日本代表 1(0−0 1−0)0 セルビア・モンテネグロ代表

【対オマーン 苦戦の中でゴールを奪う力】

◆1週間後のアジアカップD組第1戦で日本代表がオマーンに大苦戦したことで、キリンカップ2試合の勝利の余韻はいささか心細く見えたかもしれない。しかし、このオマーン戦は、中国・重慶という異なった環境、異なったピッチでの戦いであり、日本選手の体調もよくないようだったから、若い伸び盛りのオマーンを相手にたじたじとなったもの。チームにはこういう調子の悪いときもあり得るのだから、私はこのオマーン戦のように、相手の早いプレスになかなかボールをキープできず(いま風にいうとボールポゼッションの割合が少ない——か)、ピンチが多く出るような試合でも、そのピンチを切り抜けてここというチャンスにゴールを奪うことができたことが素晴らしいと思う。

◆そのオマーン戦唯一のゴールは、中村俊輔の左足の巧みなスライスシュートによる。シュートそのもののみごとさに称賛が集まるのは当然だが、俊輔のこのシュートを生み出した流れは、右よりのFKのときに、左前へ飛び出した遠藤にボールが送られたところからはじまっている。つまり、キリンカップの2試合で、日本代表が演じたボランチの選手のとび出しによる決定的なチャンスメークがここでも成功したのだった。

【遠藤のとび出しと早いFK】

◆前半34分のこのゴールをテレビ映像で見た私たちは、日本側の素早いFKをカメラがとらえずに、遠藤がペナルティエリア左サイドぎりぎりでボールを受けたところから見た。遠藤が短くキープして左後方の三都主にパスを送ると、三都主はこれを止めないで左足で叩き、中央の玉田へ送った。ボールは相手DFがインターセプトして玉田にはわたらなかったが、球勢が強かったためにコントロールできず、DFは体勢を崩してしまう。エリア外からこのボールに走りよった中村俊輔が拾い、相手2人をかわしてシュートへ持っていったのだった。

◆相手のプレスに悩まされ、ボールがつながらなかった日本が、FKのチャンスに、ゴール左の深い位置のスペースを狙った遠藤とキッカーの意図が合い、その遠藤のサポートに三都主が左サイドをあがったこと。いわば、ゴールを狙う“ 時間”と“スペース”を“いま”、“ここ”だと攻撃陣が同じように感じたことが得点につながったのだ。

◆オマーン戦の1週間前に日本代表がセルビア・モンテネグロ代表という強チームを相手に演じた1−0の勝利と、そのゴールシーンを回想しつつ、あらためてこのゴールの意味について考えてみよう。

【ビッグ5リーグに27人の“ユーゴ人”】

◆ バルカンの大国、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国が東欧の変革の嵐の中で分裂していった過程は、この地の民族・宗教の複雑な入り組み方とその歴史について詳しくない私たちには理解が難しいが、サッカー愛好家にとって、ユーゴスラビアは東欧のブラジルといわれるほど個人技のレベルが高い地域であり、また独自の政策によって、社会主義時代にも選手の海外移籍が条件付きで認められていたところだ。多くのプレーヤーやコーチが海外で成功し、5つの共和国に分かれたあとも、いぜんとしてこの地域から生まれるフットボーラーへの評価は高く、ヨーロッパのビッグ5と呼ばれるイタリア、スペイン、イングランド、ドイツ、フランスのトップリーグには合計27人のセルビア・モンテネグロ人がプレーしている。ユーゴスラビアの本流であっても、セルビア・モンテネグロは人口わずか1000万人。それも内戦などの影響で選手育成が難しかった時期を考えれば、“ユーゴ人”への西欧サッカーの期待の深さが知れる。

◆ 今回来日した代表の中に、残念ながら、そのビッグ5のメンバーは多くはない。ワールドカップ予選に向かって代表の立て直しをはかり、1980年以降生まれが半数を占める若いチーム。監督のイリア・ペトコビッチは1974年ワールドカップ(西ドイツ)で7番を着けてプレーしていたから、日本の古いファンも記憶があるかも…。前任のデヤン・サビチェビッチの方は若くてプレーヤーでも有名だったが、ヨーロッパ選手権予選の不振で解任されている。この予選ではイタリアと2引き分け、ウェールズに2勝しながら、フィンランドと1勝1敗、アゼルバイジャンになんと1分1敗で、これが響いてポルトガル行きを逃している。
◆その気になればイタリアなどの強豪国と互角に戦える、というこの戦績をみれば、セルビア・モンテネグロと名は代わり、国土も人口も小さくなっても、彼らにはユーゴスラビアの伝統を受け継ぐ力があるといえる。

◆ さて、そのセルビア・モンテネグロの新しい代表との試合は、まことに伯仲の好ゲームだった。私には、旧ユーゴ特有のボールキープと、ややゆるやかなテンポのパス交換からシュートのスペースを生み出し、日本のゴールを襲う彼らのプレーが懐かしく、充分に楽しむことができた。1961年に日本代表との試合を国立競技場でみて以来、変わらぬ技巧の高さとともに、ボールキープの割に得点力が低い伝統が残っているのも面白かったが、おかげで日本の唯一のゴールがクローズアップされることになる。

【右サイドのボールキープからのとび出し】

◆前半の日本のシュートは8本、セルビア・モンテネグロは4本。
◆後半にはいると、セルビアがはじめから攻勢に出たが、2分ばかりそれに堪えた日本が先制ゴールを奪った。そのスタートは、相手のロビングパスを拾った三都主が、自陣25メートル中央左よりでキープし、左にいた中村にパスを送るところからだった。
1)後方へ戻りながらボールを受けた中村は、広いスペースで内側に4分の1円を描きつつ、  右後方の田中へ。
2)田中は右タッチ際の加地に渡す。
3)相手はハーフラインより向こうに引いてしまい、余裕をもった加地は前を向いてから、
4)内側の遠藤に横パス。自分は前進する。
5)ドリブルでハーフラインを越えた遠藤は、さらにドリブルで進みながらもう1度右の加  地へパス。
6)右タッチぞい9メートル入ったところでボールを受けた加地に、相手が間合いをはかっ  て接近。加地は例によってまず内を向き、シャラツの接近を見ながら右足アウトサイド  で内側へパス。
7)センターサークルの右よりで、このボールを福西が受けて、タテに持って出る。
8)このとき遠藤が相手のウラへスタート。
9)福西は前方へパスを送ったが、目標は遠藤でなく、その内側、やや前方の位置にいた鈴  木へ。
10)鈴木は、いい初動でボールを迎えにもどり、背後からDFが接近する前に左足アウトサ  イドでタッチして、自分の背後へボールを流し込む。
11)そのボールが、遠藤を止めるためにスタートしたヨキッチの内側を通り、遠藤はヨキッ  チとすれ違いになって、ペナルティエリア右角やや内側で全くフリーでボールをとる。
12)遠藤の突破をみたえGKイエブリッチはゴールエリア右角から前へとび出してきたが、  遠藤はこれを右足の切り返しで内にかわし、左足で無人のゴールに流し込んだ。

◆中村がボールを受けてから、右へ回し、右サイドのキープから遠藤が決めるまで28秒。ユーゴサッカーのお株を奪う確実なボールポゼッションからのみごとな組み立てとフィニッシュだった。

◆ 試合後の記者会見でペトコビッチ監督が「ミスで失点した」といったのは、遠藤のとび出しを見たヨキッチのアプローチの拙さ(あまり急いで詰めようとしたため、鈴木のパスが自分のすぐ横を通るのに足が出なかった)のことだろう。日本側の中盤でのボールの動かし方と遠藤のとび出しのタイミングが、相手の23歳のDFの判断を狂わせたともいえる。

【鈴木の精妙タッチと遠藤の沈着】

◆この得点への流れの中で、誰もが称賛したのがノーマークでエリア内に侵入してボールを持った遠藤の落ち着きぶり。相手GKがとび出してくるのを見きわめて、内側にかわして、DFがつめるより早くシュートした。
◆それも無人のゴールを意識して、強いボールよりも、まず相手に取られない間に、すばやく正確に転がした。

◆ もうひとつは、福西からのボールが、走った遠藤に直接ゆかずに、まず鈴木へ向かったこと。そして鈴木がDFの背後からの接近をにらみつつ、左アウトでタッチして、ボールをDFライン後方へ方向を変えて流したことだ。このプレーは私自身も旧制中学、あるいは大学のチームでCFをしていたころ何度かくりかえし、右足アウトサイドの流し込みで岩谷俊夫や兄・太郎たちにシュートさせ、ひそかに快感を味わった。鈴木の場合はこの高いレベルでの試合で、ボールに当てる足の角度ひとつで決定的なラストパスを成功させたのだから、いい気分だったに違いない。

【代表は厚みを増し、基盤はできた】

◆こういう複数のプレーヤーが、それぞれ得意の持ち方やキックやドリブルを組合せる攻撃で、欧州遠征のころから、しだいに選手間のイキが合うようになってきていることは、これまでも折にふれて紹介してきた。
◆日本代表はいよいよ一体感を増し、そのチームワークと攻撃力が、セルビア・モンテネグロの若い代表相手にも通じることをキリンカップで示すことができた。ただし、このチームワークは決して完成でなく、ようやく基盤ができたというところである。
◆両サイドからのクロスにしても、必ずしも精度が高まったわけでもなく、また点を取るべき決定的なチャンスにしても必ずしもシュート力は充分というわけでもない。
◆中田英寿や稲本潤一、小野伸二、そして久保竜彦がいなくても、この程度はできるということ。遠藤、福西の進歩。そして中村俊輔がチームの中軸としての自信を備えてきたこと。中澤佑二がパーフェクトに近い守りでミロセビッチを抑え、ときに前方へとび出して攻撃を引っぱる瞬間をつくるようになったこと。川口能活が戦列にもどったこと。ぐんぐん伸びてきた坪井の故障は、本人にも、チームにも痛いが、ジーコのもとに集まった日本代表はかつてない厚みをみせた。
◆あとは、控えにまわっていた選手が出場したときに、試合の流れをかえるようなプレーをするために、それぞれの持ち芸の精度を高めることだ。
 玉田圭司という注目の選手が、なぜ代表でのゴールが少ないかについては別の機会に譲るとし、2006年ワールドカップドイツ大会に向かって、日本代表が、そのチームコンセプトを選手たちの工夫と相互理解によって作りあげたことを日本のファンの前で披露したのがキリンカップ・サッカーの7月前半の試合であった。

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