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11月はサッカーの"当たり月"

2003/12/01(月)

2003年11月は、日本のサッカーの歴史の上できわめて大きな意味を持つのではないか 。

ひとつには、J1・第2ステージ、この終盤の優勝争いが、最終日の結果、3チームが同勝点となって、横浜Fマリノスが得失点差で首位となるきわどさ、90 分間の劇的な推移のあと、第1ステージに続くタイトル獲得であったこと、また、J1の"降格"、J2からの"昇格"の戦いも激しかったこと。こうした地域に根ざしたクラブ・チームによるリーグ戦終盤の迫力が画面に映し出されるサポーターの一喜一憂とともに"テレビ雀(すずめ)"の胸をも打つものとなったこと。

それに、もうひとつ −、中旬の19日に日本代表がキリンチャレンジカップ2003でアフリカNo.1のカメルーンとの試合で、きわめて上質のチームプレーを演じて、2006 年ワールドカップを目指す代表の進歩のあとをはっきりと示したこと。ジーコ監督の言うプレーヤーの"自主性"によるチーム力の向上が、中田英寿たち選手自身の努力と工夫によって進み始めていることが明らかになったことだった。

私自身の事情でレポートが遅くなったことをお詫びしつつ、まずはキリンチャレンジカップ2003の日本−カメルーンから・・・


 キリンチャレンジカップ2003
 11月19日 (大分スポーツ公園総合競技場) 19:20
 日本 0(0-0 0-0)0 カメルーン

【大分に根付いたサッカー】

◆9月のセネガル戦の新潟もそうだったが、東九州・大分のビッグアイと称するスタジアムは38627人の観衆でいっぱいになった。大相撲に双葉山、プロ野球に稲尾選手という大スターを生んだこの地は長くサッカーに縁遠かったのが、大分のサッカー人の熱意と平松守という私と同世代の傑出した知事さんによって、大分トリニータが生まれ、ワールドカップが開催されて、西日本の拠点のひとつへと歩んでいるようにみえた。

◆その屋根付きスタジアムの記者席でのハーフタイム。隣席の田村修、木ノ原久美氏らとの会話 −
「カメルーンは何人かスターが抜けているというが、いいチームだネ。ひとりひとりの体の動きが、大型ぞろいのセネガルとはまた違っている。速いだけでなく、接触したときにこちらが重さ、あるいは強さを感じるような相手だ」
「日本の守備はヘディングの競り合いのジャンプにもセネガル戦の経験がいきている」「ただし、今度のカメルーンはセネガルほど、決定的な身長差のある選手はいないから、こちらの条件はいい」
「日本の攻撃展開はすばらしい。欲をいえば、もう少しサイドを使って広い攻撃にして、隙間を広げたいネ」
「うーん、シュートが少ない。それは寄せと、ここというときの相手の足が出るのが速いのに関係しているかも知れない」
「藤田が入ったこと。彼のトロッティング・プレーはこのチームでも生きるし、前半でも充分それをみせている」
などと話し合った。

【前半のビッグチャンス】

◆前半の日本のシュートは1本だけだったが、高原のシュートのあとのリバウンドにも小野のシュートチャンスがあった。この前半12分の日本のビッグチャンスに、この日の試合の重要な要素がほとんど含まれていた。

攻撃は三都主から、左タッチ沿いの中田へのパスにはじまり、中田−高原−中田−柳沢−中田−柳沢−高原(シュート)と続いた。

◆これをスロービデオから再現すると

1)自陣、左30メートルからドリブルした中田は、中央左前の高原へパス
2)相手側へ10メートルはいったところで受けた高原は右足いっぱいのところに送られたボールをコントロールできずに、カメルーン側に渡る。
3)そのボールを中田英寿が奪い取ってドリブルで左タッチ内側を直進。彼の前を柳沢が左へ走る。
4)中田は相手陣25メートルあたりで左前の柳沢へパス
5)柳沢は止まってキープし、2人を引き付けて後方の中田へ
6)中田はこれを止めずに右足アウトサイドで軽く浮かして柳沢の前へ送った。
7)ボールを追ってエリア内にはいった柳沢は、奪いにくるカメルーンDFを前にして左足でゴール正面へ走りこんでいた高原へパス。
8)高原は、このボールを(もどり気味に)左足で止め、左足でシュートした。ボールはGKカメニの足に当たり、ゴール正面に転がった。
9)驚くべきことに、そのリバウンドが高く上がって落下したところに小野がいた。周囲に白のユニフォームはいないとみて、小野はボールを止め、右足で蹴ろうとしたとき、疾風のように背後からやってきたカメルーン選手の左足がボールに触れ、ノーマークの絶好機は消えた。

◆文字に移しかえればこうなるが、この間は15秒程度。今はやりのサッカー理論のなかに、攻撃の成功率が高いのは、その発端からフィニッシュまで15秒以内というのがある。中田がボールを奪いかえしてから13〜14秒のハズだから、ボール奮取から15秒以内という理論(私はあまり何秒にこだわらないが)に合致しているが、私はその何秒かの間に、まず小野が右へ開いて駆けあがり、中田のパスを受けそこねた高原が、その小野よりも後にスタートして、左サイドのパス交換の間に、ゴール正面へ走りこんだことに、このチームの連携プレーのよさをみた。藤田俊哉がはいりこんでいてもいいスペースだが、彼は攻めにはいる前の相手の攻撃の際に、自陣ペナルティエリア付近に後退していた。その前方にいた小野の方が攻撃に加わったのだった。

【エキサイティングな攻防でみせた、日本の展開力】

◆このビッグチャンスがゴールに結びつかなかったのだから・・・

・まず高原のシュートがなぜGKにとめられたのか−

1)柳沢からのパスを左足で止め、左足で蹴った。ボールはキーパーのリーチ(手や足の届く範囲)の内でのグラウンダーとなってその右足に当たってリバウンドした。
2)柔らかいピッチで、しかも足元でボールが止まったから、高原は身体を後ろに引いて蹴る形となったこともある。彼は左のシュートは強く叩きつけるのが多いが、ここではボールの下(底)を蹴って少し浮かせる着意が必要ではなかったか−。

・小野が折角のノーマークを活かせなかったのは、余裕があるために、ボールを止めて、しっかり狙って蹴るつもりだったろう。別の見方をすればカメルーン、DFの戻る速さが予想外だったともいえる。小野という天才的なボールプレーヤーにも点を決めるということへの執着心と練習と工夫が必要だろう。

◆このピンチのあと、カメルーン側の中盤でのプレッシングが強くなり、ゲームは緊迫感を増した。

その中で、柳沢の中央突破や高原の左サイドからの持ち込みなどがあり、藤田が彼らしいボール奪取から見せ場を作った。

1)それは26分、カメルーン陣内でボールをキープしたジェレミを日本の2人が囲み、そのジェレミが左の味方に短く渡そうとしたボールを藤田がかすめ取ったところからはじまる。
2)タテにドリブルした藤田はペナルティエリアの5メートル手前で追走するひとりを内にかわし、エリア外、中央左近く、20メートルでシュートの構えにはいったが、その右足がボールに触れる前に、すごいダッシュで戻ってきたジェンバの左足がボールに触れ、藤田の右足は空を切った。

◆ジェンバのプレーをファウルと見る人もあるが、ビデオを見ても微妙なところ、(審判の個人的意見もファウルでないとの声が多い。)相手のタックルの速さに比べると、藤田の右足のスイングがゆっくり見えたのが不思議だった。

◆互いに最後まで得点しようと攻め合ったから、ゴールはなくても試合はエキサイティングだった。そのなかで日本は合計6度のシュートをはじめ、イキの合ったボールの受け渡しと、それぞれのみごとなランによる展開をみせたし、カメルーンは日本のDFをはずしてシュートへ持ってゆく強さを見せた。前回のセネガル戦は、早いうちに点を取り相手が守備的となって、日本はキープにしても、攻めにくい流れになったが、今回は相手も攻めるので、こちらも有効な攻撃ができた。

◆その展開のうまさは、試合中に日本もこのレベルまでになったか − と思うほどだった。そのひとつひとつ場面とその攻撃が何故ゴールを生まないのかについて、このあとも続けることにして、今日のおしゃべりは、ひとまずここまでということに−。

◆カメルーンの監督、シェーファーは、日本が点を取れないのは、点を取る選手がいないからだとあっさり言ってのけたのだが・・・。  

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