ネルソン吉村こと吉村大志郎(よしむら・だいしろう)が11月1日脳出血で急逝し、その通夜と告別式が、2日と3日、尼崎市西長洲町の阪神平安祭典会館で行われた。
野田神父司祭によるカトリック教の簡素な式には、森島寛晃をはじめ千人を超えるサッカー仲間が参会し、1967年19歳でブラジルから来日し、ヤンマーとセレッソ一筋にみごとなプレーを演じ、後輩を指導し、56歳で生涯を閉じたネルソンに別れを告げた。
葬儀委員長をつとめた鬼武健二(大阪サッカークラブ会長)やチームメイトの今村博治(ヤンマーOB会会長)堀井美晴(友人代表)の心のこもった弔辞、涙とともに献花するひとりひとりに、私はあらためてネルソンの足跡を思った。
来日して初めて尼崎のヤンマーグラウンドにあらわれた彼が、二つ折りにした柔らかいブラジル型のサッカーシューズをパンツのポケットから取り出して驚かせたこと。
彼の柔らかなボールテクニックに啓発された釜本邦茂が、あの「胸のトラップからのシュート」の型を完成させたこと。その釜本とのコンビはヤンマーだけでなく、彼が日本国籍をとってから、代表のコンビとなったこと。
ブラジルから選手を移入するという、36年前の全く初めてのヤンマーの強化策の成功に刺激され、ブラジルからそのあと続々とプレーヤーがやってきた。セルジオ越後やラモス瑠偉、そしてジーコ。いまの日本サッカーの発展にブラジルが深く関わってきたが、私は、それも最初にやってきたネルソン吉村の印象の強かったこと、そして多くの人に愛された人柄 ー を抜きにして語ることは出来ないと思っている。
さようならネルソン。ちょっと早すぎたけれどー。
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