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2003年8月

アフリカシリーズ第1戦

2003/08/27(水)

 キリンチャレンジカップ2003
 8月20日 (国立競技場) 19:00
 日本 3(2-0 1-0)0 

ナイジェリア スーパーではないイーグルが相手ではあったが、収穫ありのアフリカシリーズ第1戦

【トインビーのナイジェリア観】

かつて1960年代前にアフリカの二つの大河の流域を旅した歴史家のアーノルド・トインビー(1859-1975)はナイジェリアについて「南ナイジェリアは温室である。温室であると同時に、人間エネルギーの巨大な発電機でもある」と記している。(新潮選書:トインビー著「ナイルとニジェールの間に」永川玲二訳)  

夏から秋へのキリンチャレンジカップは、GO FOR 2006、つまりドイツ・ワールドカップに向けての日本代表の準備試合だが、そのアフリカシリーズの3試合のトップとして来日したのが「人間エネルギーの巨大な発電機」の代表チーム。

国の中央部をニジェール河が貫流し、古くから農作物が豊かで人々の多いナイジェリアは英国の影響で当然のようにサッカーが盛んになり、ナショナルカラーを冠して「グリーン・イーグル」呼んでいた代表チームは、いまや「スーパー・イーグル」との呼称が定着してしまったほど、実力は世界中から評価されている。

ただし、8月20日に来日したのは“スーパー”というには、やや遠く、ヒナ・ワシではないにしても、まず若鷲クラスだろう。しかも出場メンバーの半分が2日前、残りが試合前日に東京に到着したのだから時差によるコンディションやチーム内の連係プレーに問題が生じても不思議はない。

こういう相手との試合は自分たちのプレーが本当の「スーパー・イーグル」にどれだけ通じたのか、いささか判別しにくいのだが、そのことの是非について論じるよりも、今の日本代表には、まず相手がどうであれ日本代表チームとしての試合展開の確立 ー つまりゴールを堅く守り、相手のゴールを奪うプレーがどれだけ出来るかをくりかえすことが重要なのである。とくにゴールを奪うのはボールをゴールのワク内に入れるということで、このための連係プレー、パスの出し入れ、受け渡しとフィニッシュ。そのときのペアの呼吸はゲームと練習の繰り返しによってよくなるのだから。遠来のイーグルを迎えての注目はまず攻撃ということになる。そして高原の2ゴールをふくむ3得点をあげたのだから、代表チームは1歩前進したといえるだろう。

【キックオフからのプレッシングが1点目の伏線】  

キックオフ後1分の日本の先制ゴールは、チーム全員のこの試合にのぞむ気持ちがよく出ていた。ナイジェリアがキックオフのボールを後方にもどし、DFが右にパスをつないだのに対して中村、柳沢、高原とプレスをかけ、右DFのキックを中田英が足に当て、それを高原が中央に送った。ボールはGKの腕に収まったが、前で取ろうとする日本の早い動きにイーグルたちはとまどっている感じがあった。

この日本の積極性は、つぎの相手陣内のプレッシングにつづくエリア手前でのもみ合いにもあらわれた。この局面は、GKへのバックパスでナイジェリアが切り抜けたがGKエタフィアが右サイドに送ったキックは仲間にわたらず、出足のよい日本・左サイドの三都主がとる。

高原の1点目は、ここからの攻撃で生まれる。

【三都主のサイドからのパス】  

相手陣内、25メートル、左サイドのタッチラインよりやや内側で、GKエタフィアの蹴ったボールを取った三都主は、

 1)走るスピードをゆるめることなく、左足ダイレクトで中へ叩いてそのまま前方に走る。
 2)ボールは遠藤の上を越えたが、稲本が拾って、
 3)左前に出ていた三都主に渡す。
 4)三都主はワントラップの後、すぐ中央のスペースへパスを送る。
 5)高原が右外側からこのスペースへ走り、バウンドしたボールを右足で止め、左足でゴール右上に決めた。

【型の決まった高原の左足シュート】  

それまでの二度のプレスからの攻めこみは第1、第2列の選手の中央部での攻めだったのが、三都主が左サイドで奪ってからの攻めこみだったので、いわゆる「サイドから」のボールとなり、三都主がとったときに、柳沢が左に中田英が右に、それぞれ開いていたため、相手のDFが中央部に空白をつくってしまった。そのスペースに高原が相手DFの背後から走りこんでのワントラップシュートだった。

高原は昨年のジュビロでJリーグ得点王となったころから左足のシュートの方ができあがっていたが、この日のゴールも難しいバウンドを右足で巧みにトラッピングし、ボールのバウンドを落ち着いて見きわめ、ショートバウンドを叩いていた。

体をひねってのシュートのときに、GKの正面にとばす選手も多いものだが、GKのとれない右上スミへ蹴ったところが、さすがだった。 いきなり点をとられて、ナイジェリアは目をさまし、プレーも積極的になった。

やる気になればスーパーでなくともイーグルたちは早いし、うまい。11番の長身のアクウェグブのジャンプはGK曽ヶ端にも脅威だったし、98年代表のハルナ・バンバンギダは、右サイドでの見事な反転で三都主を振り切ってみせた。

ナイジェリアの攻勢がしばらく続くなかで、日本の攻撃がチャンスを生む。ただし中央部を狙うのが多くて、もう少し開けばなあという感じになる。

それが39分に中田-中村の左サイドからの組み立てとパスで、高原が2点目を取った。 相手のババンギダの飛び出しでスタンドがひやりとしたあと、それがオフサイドということになった。FKが左サイドの三都主へ送られるところから攻めが始まった。

 1)三都主から中央左よりの中村へ。
 2)中村は、左タッチライン際を走る中田にパス。
 3)中田は16メートルあたりから、もう一度、後方の中村にわたす。
 4)中村はこれを左足でゴール正面のスペースへ見事なクロス。 5)高原が飛び込んでジャンプヘッドし、ボールは左ポストぎりぎりのニアサイドに飛び込んだ。

この攻めの構成の中で、特に見事だったのは
  (A)三都主のパスを受けた中村がトラップして足元へ落としたボールを、ショートバウンドで叩いて中田に速いパスを送ったこと。
 (B)中田がキープしてノーマークの中村に再びボールを返したこと。
 (C)そして、それを中村がワントラップですぐに的確なボールを送ったことだ。

中田が中村に戻した時に、2人とも中央の高原へのパス(クロス)という読みがあったのだろうが、この2人がサイドで余裕をつくったことで、高原が相手のマーカーのマークを外し(視野から消え)ノーマークでヘディングをするチャンスをつかんだことだ。こういうヘディングを着実に決める実績が、高原が本物になってゆく証(あかし)となる。

日本は後半27分に、遠藤が右オープンスペースに飛び出し、稲本からのパスを受けて、ノーマークシュートを決めて3-0とした。 この日の遠藤の働きは、稲本とのボランチの役柄をこなすとともに、攻めにも再三出て行った。

遠藤だけでなく、三都主や山田(この日の攻めこみは少なかったが)宮本・坪井のDFラインも、自分たちの仕事をしっかり果たしていた。

【柳沢への期待】

華やかな部分は高原独り占めの風だったが、柳沢も久しぶりの代表試合で彼らしく動き出しの早さを見せた。例によってシュートは決まらなかったが、彼にあってはシュートを決めるかどうかは、技術もあるが、まず「厚かましさ」の問題。GKと1対1になったときに「正しい」タイミングで蹴るよりも、ときには「シュートしない」でボールを止めてみるといったことが必要なのかも知れない。何かの弾みに彼がそんなことで違った面を加えれば-と願うのだが。

柳沢個人のことだけでなく、この日たくさんあったチャンスに得点できなかったひとつひとつについてはそのパスやシュートについて、それぞれかかわったプレーヤーが振り返るのは当然としても、こんどのナイジェリア戦は中田英寿、中村俊輔を中心とする日本代表チームが、練習を積み、レベルアップすれば攻撃力ある、楽しいサッカーを展開できることを多くの人に見せたといえるだろう。たとえ、その相手が急造のイーグルであり、ディフェンス面での組織や動きについては期待はずれであったとしてもである。

1968年メキシコ・オリンピックでの日本代表の第1戦はナイジェリアが相手だった。個人技はすばらしいが守備の組織力は劣る-というのが当時のスカウト(偵察員)平本隆三のレポートで、日本は釜本のハットトリックで3-1と快勝した。銅メダル獲得につながった35年前のナイジェリア戦と同様、このキリンチャレンジカップのアフリカシリーズ第1戦が今年の大きな喜びにつながることを期待したい。

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8月15日のフットボーラー

2003/08/15(金)

8月か来るとメディアには終戦の日と広島、長崎への原爆投下をめぐって、さまざまな報道が増え、あらためて考えさせられる。広島出身の長沼健元日本サッ カー協会会長は、市中から強制疎開していたために、原爆の被害を直接受けなかった。同じ広島出身で東洋工業や日本代表のGKとして活躍した下村幸男は、修 道中学2年生のとき勤労動員で建物の取り壊し作業に出たが、風邪で体調を崩していたため、先生の指示で建物の陰に全員の弁当を集め、その見張り役になっ た。投下され爆発したとき、その建物の陰にいた弁当の見張り当番の3人だけが生き残った。

ベルリン・オリンピックの代表のうち、対スウェーデン戦の決勝ゴールを挙げた松永行(東京高師)、2点目(同点)を決めた右近徳太郎(慶応)も戦死した。 反撃の口火となる1点目を決めた川本泰三(早大)は満州(中国東北部)の関東軍にいて、シベリアに抑留、1949年に帰国した。FBの竹内悌三(東京 OB)は、このシベリアで抑留中に病死した。

私より3年上で、ディフェンシブMFとして期待された水沢淳也(神戸高商)はビルマ(現・ミャンマー)で戦傷し、弾丸が入ったまま帰還し、弾丸を取り出す ことができずピッチに立つことはなかった。京大の黄金期を築き、日本代表にも選ばれた小野礼年は小隊長として部下を死地から脱出させ、賞賛されたが、ビル マ戦の敗走で消耗した体は、かつてのプレーを取り戻すことはなかった。

          いずれ、私自身のことを含めて「8月15日のフットボーラー」について書き記したいと思っている。

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続・キリンチャレンジカップ

2003/08/05(火)

【FKからの揺さぶりで同点ゴール】    

JFAの川淵三郎会長でなくても「大人と子どもの差」と言いたくなるような両者の形勢が、ちょっとしたところから転向して、日本が同点ゴールを奪うのだから、サッカーは不思議なものだ。

28分、相手ペナルティエリア右外、2メートル。ゴールラインから12メートルの好位置からのFKが日本に与えられた。そして

1)根本が左足でキック  
2)中央で相手DFがヘディングしたのが再び根本の足元に落下  
3)根本は妨害にくる一人をかわし、左足でハイクロス  
4)韓国DFが二つヘディングを続けてクリアする  
5)そのボールをエリア左後方15メートルで三田が拾って前方の石川にパス  
6)ゴールラインから10メートル、エリア左側ぎりぎりのところから、石川は左足で強いボールを中央へ送る7)これが一番近くの韓国のキャプテン、チョ秉局(チョ・ビョングク)の足に当たって、角度が変わり、ニアポストぎりぎりに飛び込んでしまった。    

いささか幸運な、オウンゴールだった。  

ただし、このゴールは、その原因となるFKのチャンスをつかむ手順が、相手の意表をつくという点で見事だった。  

それは松井のヒールキックのパスから、  

1)右タッチラインぎわで、相手に囲まれなが ら自陣の方を向いたまま、彼は左足のヒール(かかと)でボールをタテに出した。   
2)内側からいいスタートを切った石川が、右のオープンスペースでこのボールを取り、内を向いてドリブル。
3)それを韓国のチョ秉局(チョ・ビョングク)が倒して(イエロー)FKとなった。  

この松井のヒールパスは、彼の得意芸のひとつ。相手側は、中寄りにいた石川が、外のスペースへ走るとは感じなかったのだろう。ヒールキックで、しかも相手が予期せぬオープンスペースを狙ったという、二つの意外性が重なって、石川はスピードを生かして妨害なくボールを取り、内側(ゴールの方)に向かって、ドリブル突破を敢行したのだった。  

日本のサイドからの攻撃を警戒していた韓国側にとっても、この攻めはちょっとした衝撃だったハズ。FKとそのあとの日本の波状攻撃に、それまでの自信満々の応対ぶりとはやや違っていた。  

【大久保のノーマーク・シュート】  

松井は30分にも右スローインからチャンスを生み出した。エリア内への鈴木の動きに対して、低く強く投げ、ボールはよく滑って韓国DFの足先を通って鈴木にまで達した。  

鈴木はノーマークで、ゴールライン近くの深い位置でボールをキープ、ゴールエリアに近づいてから大久保へパスを送った。パスも狂いなく大久保に達したが、大久保の右足インサイドのシュートはGKの上を抜き、クロスバーに当たってしまった。このシュートがなぜ、決まらなかったのかー、当事者を含んで、パスのボールの小さなバウンドから、大久保のインパクトなどについて、その失敗の原因を突き止めなくてはなるまい。 後半はじめの松井のドリブルシュート。タイムアップ直前の田中達也のヘディングと、惜しいチャンスが日本にもあった。韓国は185センチのチョ宰榛 (チョ・ジェジン)をはじめとする身長での優位を利して、左右からのクロスや、崔成国(チェ・ソングク)のドリブルやパスなどで、日本の倍以上のチャンスを作り出した。彼らのシュート失敗にも助けられたが、相手の強い接触プレーにも馴れた日本の守備陣も驚くほどの粘りをみせて追加点を奪われずに終わった。 

【ライバルの互いの進化】  

今度の韓国のU-22代表は、韓国の歴史のなかでもいいプレーヤーがそろっているチームだと思う。ボールタッチが柔らかくなり、技術革新が進みはじめているようで、しかも、伝統の活動量(タフネス)を残している。  

FWのチョ宰榛(チョ・ジェジン)はその長身でアジアではヘディングで相手の脅威となるだろう。1950年代の崔貞敏(チェ・ジョンミン)の速さや70年代の車範根(チャ・ボンクン)の力強さとは、また違った特色だが、反転プレーにはやはり先輩達の伝統が生きている。  

彼らに比べると、現在のU-22日本代表は全体に体格の点では劣る。しかし、いくつかの決定的なチャンスを生み出した時のように、いつ、どこで、互いの特色を組み合わせるかを、自分達で作り上げれば、アジアのトップとみられるこの相手にも通用するハズだ。ただし、ミャンマー戦以来の個人技術の進歩の遅いのが気になる。例えば石川の右足、左足のクロス(あるいはパス)の精度。このプレーヤーほどの能力があれば半年で一気に高められると思うのだが・・・。  

もし、日本のパスとシュートの精度があがり、少ないチャンスで日本が勝つようになれば、韓国は今の基礎の上にもっとシュートを磨くことになる。ライバルとはそういうものだ。  

若いうちから、いいライバルがいて互いにいい刺激になる ー キリンチャレンジカップはそのことを知ってよかったと思う。  

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不満の中に美点の確認

2003/08/01(金)

 キリンチャレンジカップ2003 
 7月23日 (国立競技場) 19:00
 U-22 日本 1(1-1 0-0)1 U-22 韓国

U-22。つまり22歳以下の日韓代表の試合は、まことに面白かった。    

メインスタンドの一部以外は屋根のない国立競技場で、サポーターの雨中の声援に励まされた日本代表が0-1から1-1に追い付き、いくつかのいいチャンスも作り出した。    

前半の中頃まで、用心し過ぎて、後方に引いてしまうことが多かったのと、試合全体を通じて韓国の選手の個人力、とくにボールを奪い合うときの強さが目立った。記録に表れたシュート数も日本が5本。韓国は12本だったから、翌日のメディアの論調も、日本代表に厳しいのも当然といえた。もちろん、私にも多くの不満はあった。しかし、90分を通じていくつかのいいプレーを見ることができてとてもうれしいことだった。  

【韓国の先制ゴール】  

まず両チームの得点シーンをふり返る。

韓国の22分の先制ゴールは、日本のDFの中軸、青木剛のパスミスから。

相手のロングボールの攻撃が、右へ開いた位置でボールを受けたチョ宰榛(チョ・ジェジン)がバランスを崩して倒れ、日本のGK川島永嗣がボールを取って青木に渡すところから、このゴールへのアプローチが始まる。

1)青木はこれを前方の鈴木啓太に送る
2)味方ゴールに向いたままボールを受けた鈴木は後退しつつ、右外後方の池田昇平へ
3)池田はトラッピングして前進したが、しばらく受け手を探したのち、前方から戻ってきた松井大輔の足元へパス
4)松井はこのボールをダイレクトで、青木へバックパス
5)青木はこれを左前方の阿部勇樹に渡そうとダイレクトパス
6)しかしボールは阿部を外れて中央のセンターサークル・ラインへ
7)そこに崔兌旭(チェ・テウク)がいた 
8)ボールを取った崔は、中央の広いスペースをドリブル
9)深い位置から三田光が近づくより早く、ペナルティエリア数メートル手前で、右足で強くボールを叩いた
10)ゴール中央へ向かい、ややスライスした速いシュートをGK川島が防ぐのは難しかったようだ。伸ばした手をかすめ、ボールは勢いよくネット上部に飛び込んだ。

この得点シーンを回顧するとき、専門家なら一番最後の部分から、つまりGK川島が防げなかったのかどうか、DF三田の寄り、その構えは? ー という風にひとつひとつをスロービデオで検証してゆくのだが、ここでは、一般的に、(1)から(4)までのパス交換で、前方でボールを受けた者が、前を向かないで、すぐにバックパスをしていること、そして、そのボールを動かしている位置が自陣内(ハーフラインよりも日本ゴール側)であること、さらに、そのボールの受渡しのときには、韓国側と接触プレー(いわゆるボディ・コンタクトのあるプレー)をしていないことに注目するだけにしておこう。そして、相手側にパスを渡してしまった青木については、右サイドキックの自分の角度について、自分がどこまで掴んでいるかが問題である。

【もうひとつのパスミス】

青木は、15分頃だったか、ハーフラインを越えたいい位置でボールを拾い、前方へ送ったパスが石川に渡らず、そのまま相手GKへ流れたのがあった。中央に大久保、その右に石川といて、相手のマークもやや粗(そ)になっていたから、渡っておればチャンスだった。ボールの滑りの早さが原因かもしれないが、青木だけでなく、U-22世代は早くからボールに馴れ親しんでいて、馴れからくる上手さという点ではアトランタ世代やシドニー世代をしのぎ、若いうちからJでの試合経験があって戦術理解という点でも、先輩たちの同年齢の時より早いように見える。ただし、重要な場面での的確なプレーをするために必要な技の、反復練習が不足しているのではないか。

失点シーンの青木を例に挙げたが、逆にいえば、こういうポイントが改善されれば ー ということなのである。

韓国は、このゴールの5分前にチャンスを作った。右サイド自陣のスローインから、小さなロブのパスを二つつなぎ、そこから、金斗ヒョン(キム・ドヒョン) が持ちあがり、併走する崔兌旭の右前へ、これも小さな浮かしたパスを出し、崔が一呼吸キープして、右外へ走りあがってきたチョ宰榛に渡して、チョがシュート(右ポストをわずかに外れた)。

自陣からのハーフラインへつなぐパスは、2本ともボールを浮かせて、日本側と競り合い、そこから、次につなげるところに彼らの自信がある。その自信が、日本側の腰を引かせていたともいえる。    

<つづく>

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