キリンチャレンジカップ2003
8月20日 (国立競技場) 19:00
日本 3(2-0 1-0)0
ナイジェリア スーパーではないイーグルが相手ではあったが、収穫ありのアフリカシリーズ第1戦
【トインビーのナイジェリア観】
かつて1960年代前にアフリカの二つの大河の流域を旅した歴史家のアーノルド・トインビー(1859-1975)はナイジェリアについて「南ナイジェリアは温室である。温室であると同時に、人間エネルギーの巨大な発電機でもある」と記している。(新潮選書:トインビー著「ナイルとニジェールの間に」永川玲二訳)
夏から秋へのキリンチャレンジカップは、GO FOR 2006、つまりドイツ・ワールドカップに向けての日本代表の準備試合だが、そのアフリカシリーズの3試合のトップとして来日したのが「人間エネルギーの巨大な発電機」の代表チーム。
国の中央部をニジェール河が貫流し、古くから農作物が豊かで人々の多いナイジェリアは英国の影響で当然のようにサッカーが盛んになり、ナショナルカラーを冠して「グリーン・イーグル」呼んでいた代表チームは、いまや「スーパー・イーグル」との呼称が定着してしまったほど、実力は世界中から評価されている。
ただし、8月20日に来日したのは“スーパー”というには、やや遠く、ヒナ・ワシではないにしても、まず若鷲クラスだろう。しかも出場メンバーの半分が2日前、残りが試合前日に東京に到着したのだから時差によるコンディションやチーム内の連係プレーに問題が生じても不思議はない。
こういう相手との試合は自分たちのプレーが本当の「スーパー・イーグル」にどれだけ通じたのか、いささか判別しにくいのだが、そのことの是非について論じるよりも、今の日本代表には、まず相手がどうであれ日本代表チームとしての試合展開の確立 ー つまりゴールを堅く守り、相手のゴールを奪うプレーがどれだけ出来るかをくりかえすことが重要なのである。とくにゴールを奪うのはボールをゴールのワク内に入れるということで、このための連係プレー、パスの出し入れ、受け渡しとフィニッシュ。そのときのペアの呼吸はゲームと練習の繰り返しによってよくなるのだから。遠来のイーグルを迎えての注目はまず攻撃ということになる。そして高原の2ゴールをふくむ3得点をあげたのだから、代表チームは1歩前進したといえるだろう。
【キックオフからのプレッシングが1点目の伏線】
キックオフ後1分の日本の先制ゴールは、チーム全員のこの試合にのぞむ気持ちがよく出ていた。ナイジェリアがキックオフのボールを後方にもどし、DFが右にパスをつないだのに対して中村、柳沢、高原とプレスをかけ、右DFのキックを中田英が足に当て、それを高原が中央に送った。ボールはGKの腕に収まったが、前で取ろうとする日本の早い動きにイーグルたちはとまどっている感じがあった。
この日本の積極性は、つぎの相手陣内のプレッシングにつづくエリア手前でのもみ合いにもあらわれた。この局面は、GKへのバックパスでナイジェリアが切り抜けたがGKエタフィアが右サイドに送ったキックは仲間にわたらず、出足のよい日本・左サイドの三都主がとる。
高原の1点目は、ここからの攻撃で生まれる。
【三都主のサイドからのパス】
相手陣内、25メートル、左サイドのタッチラインよりやや内側で、GKエタフィアの蹴ったボールを取った三都主は、
1)走るスピードをゆるめることなく、左足ダイレクトで中へ叩いてそのまま前方に走る。
2)ボールは遠藤の上を越えたが、稲本が拾って、
3)左前に出ていた三都主に渡す。
4)三都主はワントラップの後、すぐ中央のスペースへパスを送る。
5)高原が右外側からこのスペースへ走り、バウンドしたボールを右足で止め、左足でゴール右上に決めた。
【型の決まった高原の左足シュート】
それまでの二度のプレスからの攻めこみは第1、第2列の選手の中央部での攻めだったのが、三都主が左サイドで奪ってからの攻めこみだったので、いわゆる「サイドから」のボールとなり、三都主がとったときに、柳沢が左に中田英が右に、それぞれ開いていたため、相手のDFが中央部に空白をつくってしまった。そのスペースに高原が相手DFの背後から走りこんでのワントラップシュートだった。
高原は昨年のジュビロでJリーグ得点王となったころから左足のシュートの方ができあがっていたが、この日のゴールも難しいバウンドを右足で巧みにトラッピングし、ボールのバウンドを落ち着いて見きわめ、ショートバウンドを叩いていた。
体をひねってのシュートのときに、GKの正面にとばす選手も多いものだが、GKのとれない右上スミへ蹴ったところが、さすがだった。 いきなり点をとられて、ナイジェリアは目をさまし、プレーも積極的になった。
やる気になればスーパーでなくともイーグルたちは早いし、うまい。11番の長身のアクウェグブのジャンプはGK曽ヶ端にも脅威だったし、98年代表のハルナ・バンバンギダは、右サイドでの見事な反転で三都主を振り切ってみせた。
ナイジェリアの攻勢がしばらく続くなかで、日本の攻撃がチャンスを生む。ただし中央部を狙うのが多くて、もう少し開けばなあという感じになる。
それが39分に中田-中村の左サイドからの組み立てとパスで、高原が2点目を取った。 相手のババンギダの飛び出しでスタンドがひやりとしたあと、それがオフサイドということになった。FKが左サイドの三都主へ送られるところから攻めが始まった。
1)三都主から中央左よりの中村へ。
2)中村は、左タッチライン際を走る中田にパス。
3)中田は16メートルあたりから、もう一度、後方の中村にわたす。
4)中村はこれを左足でゴール正面のスペースへ見事なクロス。 5)高原が飛び込んでジャンプヘッドし、ボールは左ポストぎりぎりのニアサイドに飛び込んだ。
この攻めの構成の中で、特に見事だったのは
(A)三都主のパスを受けた中村がトラップして足元へ落としたボールを、ショートバウンドで叩いて中田に速いパスを送ったこと。
(B)中田がキープしてノーマークの中村に再びボールを返したこと。
(C)そして、それを中村がワントラップですぐに的確なボールを送ったことだ。
中田が中村に戻した時に、2人とも中央の高原へのパス(クロス)という読みがあったのだろうが、この2人がサイドで余裕をつくったことで、高原が相手のマーカーのマークを外し(視野から消え)ノーマークでヘディングをするチャンスをつかんだことだ。こういうヘディングを着実に決める実績が、高原が本物になってゆく証(あかし)となる。
日本は後半27分に、遠藤が右オープンスペースに飛び出し、稲本からのパスを受けて、ノーマークシュートを決めて3-0とした。 この日の遠藤の働きは、稲本とのボランチの役柄をこなすとともに、攻めにも再三出て行った。
遠藤だけでなく、三都主や山田(この日の攻めこみは少なかったが)宮本・坪井のDFラインも、自分たちの仕事をしっかり果たしていた。
【柳沢への期待】
華やかな部分は高原独り占めの風だったが、柳沢も久しぶりの代表試合で彼らしく動き出しの早さを見せた。例によってシュートは決まらなかったが、彼にあってはシュートを決めるかどうかは、技術もあるが、まず「厚かましさ」の問題。GKと1対1になったときに「正しい」タイミングで蹴るよりも、ときには「シュートしない」でボールを止めてみるといったことが必要なのかも知れない。何かの弾みに彼がそんなことで違った面を加えれば-と願うのだが。
柳沢個人のことだけでなく、この日たくさんあったチャンスに得点できなかったひとつひとつについてはそのパスやシュートについて、それぞれかかわったプレーヤーが振り返るのは当然としても、こんどのナイジェリア戦は中田英寿、中村俊輔を中心とする日本代表チームが、練習を積み、レベルアップすれば攻撃力ある、楽しいサッカーを展開できることを多くの人に見せたといえるだろう。たとえ、その相手が急造のイーグルであり、ディフェンス面での組織や動きについては期待はずれであったとしてもである。
1968年メキシコ・オリンピックでの日本代表の第1戦はナイジェリアが相手だった。個人技はすばらしいが守備の組織力は劣る-というのが当時のスカウト(偵察員)平本隆三のレポートで、日本は釜本のハットトリックで3-1と快勝した。銅メダル獲得につながった35年前のナイジェリア戦と同様、このキリンチャレンジカップのアフリカシリーズ第1戦が今年の大きな喜びにつながることを期待したい。
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