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8月15日のフットボーラー

2003/08/15(金)

8月か来るとメディアには終戦の日と広島、長崎への原爆投下をめぐって、さまざまな報道が増え、あらためて考えさせられる。広島出身の長沼健元日本サッ カー協会会長は、市中から強制疎開していたために、原爆の被害を直接受けなかった。同じ広島出身で東洋工業や日本代表のGKとして活躍した下村幸男は、修 道中学2年生のとき勤労動員で建物の取り壊し作業に出たが、風邪で体調を崩していたため、先生の指示で建物の陰に全員の弁当を集め、その見張り役になっ た。投下され爆発したとき、その建物の陰にいた弁当の見張り当番の3人だけが生き残った。

ベルリン・オリンピックの代表のうち、対スウェーデン戦の決勝ゴールを挙げた松永行(東京高師)、2点目(同点)を決めた右近徳太郎(慶応)も戦死した。 反撃の口火となる1点目を決めた川本泰三(早大)は満州(中国東北部)の関東軍にいて、シベリアに抑留、1949年に帰国した。FBの竹内悌三(東京 OB)は、このシベリアで抑留中に病死した。

私より3年上で、ディフェンシブMFとして期待された水沢淳也(神戸高商)はビルマ(現・ミャンマー)で戦傷し、弾丸が入ったまま帰還し、弾丸を取り出す ことができずピッチに立つことはなかった。京大の黄金期を築き、日本代表にも選ばれた小野礼年は小隊長として部下を死地から脱出させ、賞賛されたが、ビル マ戦の敗走で消耗した体は、かつてのプレーを取り戻すことはなかった。

          いずれ、私自身のことを含めて「8月15日のフットボーラー」について書き記したいと思っている。

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