4月16日 (ソウル・ワールドカップスタジアム)
日本 1(0-0 1-0)0 韓国
◆韓国代表も日本代表もヨーロッパ組は不在だが、韓国には若い顔が多く、日韓戦、それもホームでの精神的重圧は彼らの方が大きいように見えた。もちろん、そうした相手の状態とは別に、あの大歓声のアウェーで、冷静に、しかも最後まで闘志が衰えることなく戦った日本代表のイレブンに敬意を表したい。
◆日本は、前半にFWで起用された仙台の山下芳輝が常に相手DFのウラへ、そしてクロスにはニアへはいろうとするのがよかった。フィニッシュまで持ってゆけるかはともかく、こういう「図々しい」FWが増えるのは、まことに結構なことだ。
◆シュートは日本が前半4、後半4、韓国が8本ずつで2倍だったが、距離や流れからみて決定的だったのは、前半の日本・小笠原のフリーシュート、韓国のやはり前半、李天秀の反転フリーシュート。それぞれ相手をヒヤリとさせたハズだ。
小笠原のは左からのクロスを相手DFがヘッドし、そのボールを右に開いていた中山がとってすぐに中央右よりの小笠原へわたした。小笠原はこれを彼らしく右足でダイレクトでひっかけ気味に浮かせてゴール左上を狙ったが、曲がった球道は左ポスト外へそれた。中山のパス、小笠原のダイレクトシュートといい、いかにも日本的なタイミングと技巧だったが・・・
【李天秀の反転とシュート】
小柄な李天秀が日本側を驚かせたのは23分ごろ。中央のFKを左へまわし、左から中央のノッポの李東国にあて、胸で落としたボールを、すぐ近くに走りこんでいた李天秀がゴールを背にした形でボールを浮かせ反転して、エリア内に侵入した。ゴール正面、エリアぎりぎりでのこのプレーは、前に出た服部のウラをかいた格好になり、李天秀はGK楢橋と1対1となった。しかし、この右足のシュートは左ポストにあたって外へいってしまった。
李が浮かせて反転したところは、2002ワールドカップのポルトガル戦で、朴智星が右ポスト前で、浮きダマのフェイントでDFをかわしてゴールを決めたのと、少し形は違うが、韓国の選手の空中にあるボールに対する巧さと落ち着きを示すもの。
残念ながら、李の方は抜け出してからシュートまでに余裕があったためにかえって決められなかった。
◆日本に対する韓国の得意芸 ー 怒涛の攻撃 ー
走りまわってクロスのセカンドボールを拾い、第2波、第3波と打ち寄せる攻めは、後半の方が前半より少し多かったが、日本側は山下に代えて奥大介を投入し、三都主をFWにあげたから中盤からのパスの出どころは前半より増え、変化もあった。
決勝ゴールは、その奥が左サイドの自陣から送ったロングボールを永井雄一郎に渡ったところから始まり、彼がエリア左角で中へドリブルし、左へ切り返して一人DFをはずしたとき、ボールが大きく足元から離れてしまう。それをDFの曹秉局(チョ・ビョング)が蹴った ーそのボールに永井の伸ばした右足があたり、ボールが高く上がってゴールキーパー李雲在の上をこえ、ゆっくりゴール右すみにすいこまれた。
左から中へ切れこんで、エリア左角あたりから右のシュートを狙うのは永井の得意の型のようだが、それにもってゆこうとして、相手にコースを抑えられ(韓国 DFの密着プレー)切り返してかわそうとして、それが必ずしも成功はしなかったが、相手のクリアに足を出す粘り強さが貴重なゴールとなった。
【大器は花開くか〜】
◆永井雄一郎は1979年2月14日生まれで、中田英や中村俊輔より1〜2歳若く、高原直泰と同世代。三菱養和クラブの出身。184cmと上背があって足が速く、ドリブルの上手な彼が1997年に浦和レッズにデビューしたとき、誰もが次世代のスターと期待したものだ。未完の大器は、どういうわけか私がいう最も大切な21〜22歳期をドイツの2部カールスルーエで過ごし、浦和にかえってきて、J2からJ1への昇格には役立ったが、ワールドカップの代表の枠に入ることもなかった。
日韓戦の直前になって、故障者が出たFWのサブとして久しぶりに代表に登録され、後半30分から中山に代わって出場して、幸運な決勝ゴールを決めたのだった。
◆タイムアップ直前、ロスタイムに記録されたこのゴールはジーコ・ジャパンにとっても、自らシュートチャンスを切り開く姿勢が決勝ゴールにつながったということで意義は大きい。
ただし今回はあくまで“姿勢”が生んだ幸運である。永井が自ら意図し自らの技術によって重要なゴールを奪いとるようになれば、4月16日の幸運のゴールは彼にも日本サッカーにも歴史的な意味を持つだろう。
(撮影:冨越正秀)
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