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拝復、Nさん。

2003/03/05(水)

※「拝啓、賀川さん」へ寄せられたメッセージへのお返事です。

【リオのマラカナン・スタジアムの記事について】

◆リオのマラカナン・スタジアムについて、1992年7月19日の事故についての記事で、適切でない表現があるとのご指摘、ありがとうございます。
一部を差し替えました。

(ここからはNさんだけでなく皆さんへ)

このマラカナン・スタジアムの記事は私が『サッカーダイジェスト』に1988年5月号から1994年まで「FOOTBALL AROUND THE WORLD 蹴球 その、くに、ひと、あゆみ」というタイトルで連載したうちの1993年3月18日号に掲載したブラジル[7]の1部です。(ブラジルは [1]〜[10]まで)当時のダイジェスト誌の六川亨編集長の激励のおかげで6年間に40か国近くについて、年表とメモをつけて書きつらねたものでした。現在、Kagawa Soccer Libraryにも収録されています。掲載時から現在に至るそれらの国々について、いずれ補足する予定ですが、まずは時間のある方は一度、読んでみて下さい。

【愛知県、刈谷高校について】

◆愛知県の刈谷高校についてのお問合せでした。

愛知県立・刈谷高校は大正8年(1919年)の開校で、初代の羽生隆校長は「東洋のイートン・スクール」をめざすという教育方針を掲げ、スポーツもアメリカ生まれの野球でなくフットボール(サッカー)を採用した。

野球の盛んな名古屋・東海地区のことだからずいぶん異論もあったが、学校の教科課程のひとつとして全校生徒ができること、スポーツで質実剛健な気風を生みたいとの考えが受け入れられ、ランニング(陸上競技)とサッカーが校技となった(刈谷高校サッカー部70年史)ーとある。

◆創立70周年を機会に1988年(昭和63年)8月、英国のパブリック・スクールの名門イートン(Eton)校のサッカー部16人(柔道部9人も)を招待して交流試合を行なった。8月15日に来日したイートンのサッカーチームは刈谷でホームステイして刈谷高校や近隣の高校チームと合計5試合をしたのち、 27日には神戸で神戸高校と試合した。

私は刈谷での試合は見ていないが、神戸高校との試合は見ることができ、その夜の河本春男・神戸市協会会長主催のレセプションにも出席した。試合態度もしっかりしたものだが、このレセプションでの小柄なキャプテンのスピーチが堂々していて、しかも気配りのゆきとどいているのに感心したことを覚えている。いま彼の名を思い出せないが、私との立話のときに16才の彼は「父もイートンでサッカーをしていた。父はキャプテンでなかったが、私はキャプテンです」というところに、イングランドでのキャプテンという言葉の意味と、彼の振る舞いにキャプテンシーという意味や、そうした教育の一端を見た感じがした。

ロンドンから離れたところに両親はいる。(友人の話ではお城らしい)私はロンドンにフラット(アパートの一区分、日本でいうマンション)を持っているので、ミスターカガワもロンドンにおいでの節はぜひお立ち寄り下さいと言っていた。

こういうイートン校と交流を持つところに刈谷高校の伝統の重みがあると思う。

◆刈谷高校については『月刊グラン』(名古屋グランパス、サポーターズマガジン)の2001年11月号「このくにとサッカー」河本春男(上)のところにも短く触れています。この連載は出版元の中日新聞開発局・月刊グラン、本木恵也編集長の案で、日本のサッカーが今日の姿になるまでの歴史のそのときどきに、業績があり、またのちにまで影響を及ぼした「人」を紹介してゆくもので、2000年4月第73号から現在まで続いています。ちなみに一番新しい2003年3月号No108も刈谷高校出身(ただしサッカー部ではなかった)の鈴木良韶和尚(元祖サポーター)です。

◆Nさんの叔父さんが国体に優勝したころの部員ということ。

刈谷は昭和29、30年に連続優勝をとげている。私は国体は取材していないが、西宮球技場で開催されていた正月の高校選手権は欠かさず見ている。

29年国体優勝チームは30年1月の選手権決勝に進んで浦和高校に敗れた。刈谷には熊田、服部といったいいFWがいたが、浦和には超高校級のストライカー志賀広がいて、彼の突破力とシュートに敗れた。スコアは5−2、次の年の高校選手権は地域予選で敗れた。刈谷を押さえて選手権へ進出した藤枝東高には記念すべき時だった。

◆質問のなかに刈谷のOBが静岡にサッカーを伝えたという話があったが、ある時期の静岡勢が先進の刈谷を目標にしたことはあるハズ。ただし「伝えた」というのを初期の段階でフットボールを静岡に伝えたという意味なら、ちょっと年代的にむずかしい話となる。

静岡師範が大正10年の第3回関東大会に出場(1回戦敗退)した記録があるが、旧制刈谷中学の記録では大正10年は秋に校内大会を行なった程度で、対外試合は大正11年の名古屋蹴球団主催の全国中学校大会が初めてとなっている。

◆刈谷高校のOBには私や兄・太郎をサッカーに引き込んだ前述の神戸一中のサッカー部長・河本春男先生(ユーハイムの元会長)や長く親しくしてもらった高橋英辰さんをはじめ多くの知人がいる。『赤だすきの歩み』刈谷高校サッカー部70年史に兄・太郎も寄稿している。そんなことで、つい長話になった。そういえば現在のグランパスの社長の加藤東洋さんも刈谷高校の卒業生だった。

(ロクさんこと高橋英辰さんについては、別の機会に)

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