天皇杯 鹿島アントラーズ vs 京都パープルサンガ
新年のご挨拶
2003年
明けましておめでとうございます。
日本の経済・社会には大不況やデフレやそして失業などの問題があり、世界にもイランや北朝鮮をはじめ多くの緊張のタネもあるが、私の周辺はまずまず平穏な元旦を迎え三カ日を過ごすことができた。
まことに有難いこと—
天皇杯 鹿島アントラーズ vs 京都パープルサンガ
1月1日 (国立競技場)
鹿島アントラーズ 1 (前半1-0) 2 京都パープルサンガ
【サンガの天皇杯優勝】
新年早々、関西人の私には京都サンガの天皇杯獲得といううれしい出来事があった。
鹿島との元旦決勝は、テレビ解説で早野氏が「京都の勢い」を強調していたが、まことに勢いを感じさせる試合ぶり。後半になっても動きのスピードは鈍ることなく、攻撃のときに、まるで沸いて出てくるような壮快なランプレーが続いた。国立競技場に集まった5万人の観衆は改めてサッカーの面白さを感じてくださったことと思う。
【黒部も松井も朴も、そして全員が・・・】
黒部という体に瞬発力と持ちこたえる力を備えたストライカーと、若くしてすでに緩・急ドリブルを身につけている松井とワールドカップ4位の韓国代表・朴智星のFWの強さはいうまでもないが、第2列目から走りあがる鈴木慎や冨田、さらに落ち着いた守りと配給の石丸、積極的な齋藤たちのMF、そして鈴木和、手島、角田のDFラインとGK平井の誰もが、局面でのボールの奪い合いに強い気迫を持ちつづけた。
前半こそ、鹿島の経験からくる「読み」を打ち破れず、カウンターで1点を失ったが、後半5分に右CKから朴のヘディングで同点としたあとは、彼らの技術に裏うちされた気迫とランが「経験」を圧迫した。
その同点ゴールは富田の右サイドでのドリブル突破を止めようとした、相手側の反則による、タッチぎわのFKからだった。左で強いタマを蹴れる鈴木慎の速いボールに、朴がファビアーノにせり勝ってヘディングを決めたが、そのニヤーサイドに斎藤が飛び込んでいった(ヘディングはしなかった)のも、カゲの力となったハズだ。
後半35分の2点目は黒部のシュートだったが、アプローチはまず、1)中央右より、相手のミスのボールを自陣で拾った松井が、ドリブリし左に開いた黒部へ長い速いパスを送り2)黒部が左から中へドリブルして、エリア内にはいっていた鈴木慎にパス、鈴木とせり合ったアウグストの左足にあたったボールが黒部の前へころがったもの。
テレビのアップは、ややむずかしい姿勢ながら黒部がしっかり右足(立ち足)の上に体をのせて、左足インサイドでボールをとらえるところを映し出していたが、このあたりが、黒部という選手の粘っこい体の強さを表している。
【ありがとう、稲盛さん】
こうして京都サンガは天皇杯で初優勝した。
J1チームの天皇杯へのアプローチは4試合だけではあるが、イングランドのFAカップに倣ったその年度の協会加盟チームのナンバーワンを決めるノックアウトシステムのタイトルは参加6000チームの頂点に立つものとして高く評価される。
試合のあと、選手たちが一番に胴上げしたのは稲盛さんだった。
京セラという企業を起こし成功し、京都の市民のためにと、サンガの設立以来、バックアップしてきた稲盛和夫、京セラ名誉会長の度量と経済的な後ろ盾がなければ、京都にこのクラブが育ち、こうしたいいチームが、元旦の国立競技場で勝つまでにはならなかったと思う。
バックアップ体制がしっかりしているのにくらべて、スタート直後からしばらく私たちサッカー人仲間の力不足で、稲盛さんを何度も失望させてきた。負けず嫌いの稲盛さんにとって、強くならないサンガにはずいぶんハラ立たしいこともあったハズだ。幸いなことにエンゲルスという地味だが、能力のある監督を得て、 1978年〜82年生まれを主力とするチームはJ2から昇格した2002年にみごとなチームとなって、J1でも上位の1/3に食い込み、今また、天皇杯に勝った。
メキシコ・オリンピック(1968)得点王・釜本邦茂(山城高校→早大→ヤンマー)を生んだ京都は、彼以外にも柱谷兄弟をはじめ多くの優れたプレーヤーを育てている。すでにこのチームには、クラブユースの出身者もいる。京都という世界でも独自の文化を持ち続けている都市にサッカーが根を下ろし、世界のトップと戦えるチームをつくり出すことが、京都のサッカー人にとってのこれからの仕事となる。
まずは京都の皆さんおめでとう。
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