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2002年12月

大晦日にPK戦を見た プレッシャーと心理とキックの精度

2002/12/31(火)

滝川第二と室蘭大谷の試合をサンテレビで見た。40分ハーフの前後半を終わって、0-0、PK戦は滝川第二が4人まで連続して決めたのに対し、室蘭大谷は3人目をポストに当て、4人目がGK福島に防がれて結局4−2で滝川第二が2回戦に進むことになった。

ゴールの中央から11メートルのキックマークに置かれたボールを蹴る「PK戦」は、停止球を誰にも防がれることなくゴールへキックするのだから、全く対ボールの技術、いわばキックの精度(方向と強さ)だけの問題。普通に考えれば、キッカーが有利でゴールは当然なのだが、どうしても決めなければという緊張感もあって、技術だけでなく気持ち(精神)の問題もかかわってくる。

今年のワールドカップのイングランド対アルゼンチンで、試合中のPK(オーウェンがエリア内でアルゼンチンのDFに反則で倒された)をベッカムが決めたのをご記憶の方も多いだろう。4年前のワールドカップでのアルゼンチン戦での自らの失敗と、そのあとに続く屈辱的な日々の記憶を背にして、この大会にやってきたベッカムにとっては、今回のアルゼンチン戦は格別の思いがあったはず。右足のコントロールキックを名手である彼が、右足でゴールの右上すみ、あるいは左下すみを狙わずに「渾身」といった感じで右足を振ったのは、そうした気持ちのあらわれだったのだろう。ボールはゴールキーパーの左側すぐ近くを通った。手を伸ばせば当てることの出来る範囲だったが、ベッカムの気迫に押されたのか、GK自身が固くなったのか、左手は全く反応しなかった。

大選手でも緊張するこのPK戦で、滝二、室蘭大谷ともに最初の2人は自分の狙った方向へ正確に決めている。滝二は二人とも右足でゴール右ポスト近くへ低いボール、室蘭の2人は右足で左ポスト側へやや高い球を蹴りこんだ。両チームともPK戦の練習を積んでいる感じだったが、3人目で滝二の金主将が先の2人とは違って、右足で左ポストぎわへ決めたのに対し、室蘭の3人目は右足で先の2人と同じ方向だったが、左ポストに当ててしまった。これで3-2。

4人目は滝二の田岡が右で左ポストいっぱいに決めて4点目を奪うと、室蘭の4人目西山は、右足のサイドキックで右を狙い、そのボールをGK福島に防がれたのだった。キックする側からすれば、3人目の仲間が蹴ったときGK福島が、そちらに飛んだから読まれていると思ったのだろう。右足のサイドキックで右下すみを狙ったのはいいが、それをGKに読まれ、しかもボールがGKのレンジ(手の届く範囲)に飛んだ。

GKに読まれても、サイドキックで強く、サイドネット内側へ蹴れば、GKには取れないのが普通だが、そのサイドネットへ蹴るには彼がボールへ踏み込んでいく角度が浅かった。もう少し深い角度で入らないと、インサイドキックで右ポスト近くに蹴るのはむずかしい。

トップ選手の中には、右で蹴るとき深い角度で助走をはじめることで、相手GKに右のインサイドで右へ(GKからみれば左へ)蹴ると思わせて、左へ蹴るものもあるくらいで、インサイドの場合は、キックに入る角度が重要になる。

プレーする側や応援するものにとってPK戦は過酷なものだが、サッカーのあらゆる場合と同じように、ここでも正確な基礎技術と冷静さが必要ということになる。

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ワールドカップの回顧テレビ

2002/12/21(土)

ワールドカップの回顧テレビ

◆12月にはいってテレビではことしをふり返る番組が登場し、そのなかで「ワールドカップの検証」や「あの興奮をもう一度」 — などがNHKはじめ民放各局でうつし出されている。

ひとつひとつの場面を見るごとに改めて楽しさや口惜しさが甦る。こうした日本の多くの人たちが、ワールドカップを反芻する機会が持てるのはまことに有難いことだ。

◆その中で、韓国のベスト4進出と日本のベスト16どまりとの比較がクローズアップされる。誰もあからさまには言わないが、はっきりしているのは、ヒディンクとトルシエの違いである。

ヒディンクはワールドカップ上位進出の常連国のオランダで育ち、PSVアイントホーフェンでプレーした。指導者としては、1987-88シーズンにPSV でオランダのリーグ、カップそしてヨーロッパカップ(現チャンピオンズカップ)の3冠の実績を持ち、さらに1998年オランダ代表監督として、フランスワールドカップで4位となっている。

◆韓国のサッカー界はワールドカップに5度出場しながら1勝もしていなかったから、その目標は第1ラウンドの突破だった。それが成功して、選手も韓国協会も国民もひと安心したけれど、ヒディンクはそれに満足しないで、「これからが本番」だと選手たちを導いた。準備不足だった強豪国もグループリーグをへて、チーム力を整備し、大会の経験の浅い国は、3試合をへて自信をつけ調子をあげてくる — ワールドカップは16強になってからが本番だということをヒディンクは熟知していて、ここまで来た以上、1試合でも多く選手たちを戦わせること(勝ち進むこと)が選手たちの最高の経験になることを知っていた。

◆一方、トルシエ監督にはワールドカップの第1ラウンドを勝ちぬ抜いた実績はない。彼は日本代表を4年間で第1ラウンド突破の実力をつけるという重い責任を負い、ベルギーと分け、ロシアに勝ち、チュニジアも突破して、ベスト16へ進出したときにひと安心した。いわば日本協会との約束である第1ラウンドを突破を果たしたことでひと息ついた。面白いもので、選手のほとんどは監督のホッとした気持ちが反映して、ホッとしてしまった。

トルシエはこの選手たちに闘争心がなくなってきたのを見たので、対トルコ戦は出場機会に飢えている選手(西澤、三都主)を起用したということになっている。

「ここからが本番」と心の底から思えば、こういう「うまくいっているチームを変える」という選択はできないハズだった。

◆といって、私はトルシエを非難する気はない。ただ、彼のために、ここでもうひとつ勝てば彼の人生にも、日本のプレーヤーにも、大きなプラスだったと残念に思うだけだ。

もちろんトルコは強いチームだったが、まともに戦えば、あのコンディションでフラストレーションのたまる試合にならず、たとえ負けても、もう少しスッキリした気分に — 日本全体が — なったハズだ。

◆ただし、トルシエを選び、招いて代表を任せたのは日本協会の責任であり、いわば日本サッカー全体の力を象徴するものであったといえる。

このことは「サロン2002」というグループの集いの、ワールドカップの総括のなかで述べたことだが、新しく日本協会のトップになった川淵三郎キャプテンが2006年のワールドカップに向け、「経験豊富な監督」をとジーコを選んだのもこの点にあったと思う。

◆それにしても、幸運もあったけれど、第1ラウンドをよくぞ突破したものだ。そうでなれば回顧番組を見る気もしなくなっていたかも知れない。

ひとつのゴールで結果がきまるサッカーは、まことに残酷で美しく面白い。古くからの多くの日本のサポーター。その長い残酷な年月に堪えてきた皆さんとともに、まぁ 今年はよかったネということにして、新しい年にもっと期待することにしよう。

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続々・トヨタカップ:ビッグネームだけじゃない。

2002/12/15(日)

続々・トヨタカップ ビッグネームだけじゃない

 12月3日 (横浜国際総合競技場)
 レアル・マドリード 2 (前半1-0 後半1-0) 0 オリンピア 

◆レアル・マドリードは数人の大スターだけのチームではない — というのが試合後のデルボスケ監督の話の中にあった言葉だが、左のロベカル、右のフィーゴ、中央のジダン、ラウル、そしてロナウドという豪華絢爛(ごうかけんらん)の攻撃陣を支援するマケレレとカンビアッソの2人 —いわゆるボランチと2人のCDFイエロとエルゲラ、フィーゴの後方にいてこの日は守備の仕事の多かった右のサルガドたち、そして若いGKカシリャスも、この日はよく働いた。

とくに私にとっての驚きはマケレレの進境と、初めてナマでみるカンビアッソの巧みさだった。

マケレレについては、セルジオ越後氏が新聞紙上で、この日の働きをとりあげていた。170センチの小柄なフランス代表は、すっかり、チームのなかでの自分の立場をつくり、オリンピアの攻めの芽を摘み取るだけでなく、ときにはドリブルで持ちあがって存在感を見せていた。

22歳のカンビアッソも今シーズンからレギュラーになったそうだが、大スターのなかでのつなぎ役としてタイミングのいいパスや動き、そしてディフェンスの能力を発揮した。こういう若手がいるところに選手を発掘し育成するこのクラブのすばらしさがある。

◆攻撃のスター・ラウルのファンにとってはこの試合で彼のゴールがなかったのはいささか残念だったかも知れないが、ロナウドとのコンビネーションが出来てきたようだから、本領はこれからだろう。(トヨタカップ後、リーグの対マジョルカでいいゴールを決めている)

Tphotorobertocarlos021203_1 ◆ロベカルは、この試合の前にロンドンで発売された英国の月刊誌、ワールドサッカー(WORLD SOCCER)12月号で、ラドネージ記者とのインタビューで、クラブ世界一のタイトルのかかっている試合で自分たちの力を見せたい、そして、このあとのリーグやチャンピオンズ・リーグへつなげたい — と語っていた。

12月3日の彼の働きぶりは全く、その意気込み、気合があらわれていた。わたしたちは、日本の選手とくらべても小さい方の、168センチのロベカルが、強烈なフリーキックだけでなく、得意の左足でさまざまなキックやボールタッチを、ほとんどパーフェクトにやってのけるのを、あらためて確認した。

もちろん、彼の体の強さ、速さなどは生来のものもあるが、修練を重ねた上質のキック(小柄なプレーヤーとキックについてはジーコの項『監督ジーコへの期待:ボールの扱い、中でもキック上達を』での大男ソクラテスの言葉で記述している)がどれほど大切な個人技であり、チームの大きな武器になるかを教えてくれたと思う。

◆12月3日のトヨタカップは、いいサッカーはどれほどのスターが集まっても、彼等の相互理解があってはじめていいチームプレーができること、そしてまたロベカルに代表されるように、プレーヤーの試合にのぞむ強い気迫があってこそ高いレベルのハーモニーも生まれることをみせてくれた。

ロナウド、ジダン、フィーゴたちのことはまた別の機会に — 

(撮影:富越正秀)

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続・トヨタカップ:シンフォニーのような攻撃

2002/12/07(土)

 12月3日 (横浜国際総合競技場)
 レアル・マドリード 2 (前半1-0 後半1-0) 0 オリンピア 

【シンフォニーのような組み立て】

現代のビッグゲームでのゴールをふり返えるとき、私はいつも、それぞれのプレーヤーの高度なテクニックと判断が組み合わされた、ひとつの芸術作品のように思える。とくに、このレアルの1点目のように、ラウル、フィーゴ、カンビアッソ、ジダン、ロベカル、ラウル、ロナウドで生み出されたゴールは、たとえば 1974年W杯決勝の西ドイツの2点目(決勝ゴール)あのボンホフ、GKマイヤー、シュバルツェンベック、グラボウスキー、ボンホフ(ドリブルからクロス)、G.ミュラー(反転シュート)と渡ったものと同じように、すばらしいシンフォニーのフィナーレを聴く思いがする。西ドイツの方は、ピッチの右半分を使ってのタテのローテーション攻撃だったが、レアルのこの1点目は、ピッチを右後方から左前方へ横切り、そして中央へもどしてきたところが面白かった。、そして、西ドイツと同じように相手との対応に、緩があり急があり、巧まざるタイミングの変化に見どころがあった。

【ラウルの位置どりとノータッチパス】

Tphotoraul021203_1 なかでも印象に残ったのは、ラウルの位置どりと、ノータッチ(さわらないで)パスをやりすごして、ロナウドにまかせたこと。彼の得意のシュート位置へ走りあがり、ロベカルからの早いパスを、受けるとみせて受けなかったことで、相手DF(GKをふくめて)の意表をついた。そのコースのスペースを防ぐ役割のペドロ・ベニテスはほんの僅か反応が遅れた。そこをあけていたロナウドが走りこんできたのに対して、ペドロはボールをカットしようとして、足をいっぱいに伸ばしても取れなかったから、ロナウドにとっては、あとは楽な仕事だった。ゴールをきめたあとの喜び合い、抱き合いのなかでロナウドが2度もラウルを抱きしめたのは、感謝のあらわれだったと思う。

【スペースをあけておく本能】

◆ロナウドの非凡さは、ラウルの気配を察するまで、ロベカル、ラウルの延長線上のスペースをあけていたことだ。

われわれから見れば、どんなプレーでも出来そうなロナウドだが、ゴール前でボールをもらってシュートに結びつけるのには、前を向いて走りこんでゆくのが、もっとも効果的なのを体得しているはず。自分のシュートのスペースをあけておくというのは釜本邦茂をはじめ優れたストライカーの本能的な技術だが、ロナウドもまたこの点は天才的な読みを持っている。そして、その空白地帯へロナウドがはいってくるだろうと予測したラウルもまた天性のストライカー感覚の持ち主といえる。

◆このことは同じような形のチャンスが39分、オリンピアに生じたとき、チームの柱、ミゲル・ベニテスがボールを受けたときに、右からのグラウンダー・クロスの線上にはいっていったから、このため、彼は得意でない左で蹴ることなり、残念にも弱いシュートをGKカシリャスに防がれた。

◆レアルの2点目は、82分にロナウドと交代したグティがその2分後にヘ
ディングできめた。やはりクロスボールからだったが、今回は右サイド。
フィーゴが余裕タップリに蹴れば、このピンポイントで合うというモデル。
それにしてもグティのヘディングの位置(ニアーポスト側、相手DFの前 — つまりニアーサイド)へのはいり方のうまさは、スロービデオで見なおして、感心してしまう。

このチャンスは、まず直前の右CKをフィーゴが蹴ることからはじまる。
1)中央へのカーブボールにエルゲラがジャンプしたが、DFがヘッドして、クリア。
2)これをマケレレが拾って再びフィーゴへ。(このときグティは中央にいた)
3)フィーゴが右足のキックの構えにはいったとき、
4)グティはいったん下がった位置から、こんどはニアーへスタート。(エルゲラは中央へゆく)
5)ボールに合わせて(空けておいた)DFの前へ体を入れてのヘディングシュートだった。

◆私たちは、左のロベカル、右のフィーゴ、2人の当代のサイドアタッカ
ーのクロスボールが、それぞれの選手の個性によって、独特の航跡を描くことをこの試合でも堪能し、それぞれのクロスにあわせたゴールを見ることができた。

 

もちろん、レアルのすばらしさとそしてオリンピアの健闘による第23回トヨタカップの楽しさはこれだけではない。それはまた(続)あるいは(続々)編で —。

(撮影:富越正秀)

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トヨタカップ レアルマドリード vs オリンピア

2002/12/06(金)

トヨタカップ レアル・マドリード vs オリンピア

 12月3日 (横浜国際総合競技場)
 レアル・マドリード 2 (前半1-0 後半1-0) 0 オリンピア 

【気合充分のチームのワンタッチ・プレー】

◆試合前、スタジアムのプレス・サロンでフリーのカメラマン富越正秀(とみこし・まさひで)さんと会う。「レアルの練習を見ましたか」と私—。“見ましたヨ。試合形式ばかりでした。相手を背にした選手がボールを受けるとき、止めないで、ワンタッチのパスがつづくのです。”大学生時代からカメラを持って海外へ飛び出していった彼とは30年来のつき合い。練達のフォトグラファーは、試合でも、私のような記者席から離れて見るのと違ってゴールの後ろ、ピッチのすぐそばで見ているから、いつも教えられることが多い。

◆試合のあと、新横浜駅近くの信号のところで広瀬一郎(ひろせ・いちろう)氏に声をかけられる。”あのレアルの気合いのすごさは何故なのでしょう。“長く電通にいてワールドカップやトヨタカップなどビッグイベントのスポーツプロモーションの仕事にかかわってきた、この東大サッカー部のOBは、レアル・マドリードのイレブンのこの夜のプレーにあらわれた彼らのモチベーションの高さに驚き、そのウラに何があるのだろうかと不思議に思ったらしい。

◆その背景が何であったにせよ(レアル・マドリードが日本のサッカー市場への進出を企画しているという話もあるが—)、この夜の試合は2人の前後の話どおり、やる気満々のスター軍団がワンタッチのパスプレーを連発して、その技術の粋をいたるところで見せつけた。得点は2−0だったが、オリンピア側にもシュートチャンスがあったから、ゲームとしてもスリルがあり、現代サッカーの面白さを満喫した94分だった。

【中盤でみせるポストプレー】

ジダン、フィーゴ、ラウル、ロナウドの誰かが中盤のどこかでポストとなり、後方、あるいは左か右に、短いパスを送る、そこに誰かがいて、つぎへの展開がはじまる。

ミッドフィールドがコンパクトになり、スペースの少なくなった現代のサッカーで中盤でボールキープし有効な攻撃を仕掛けてゆくために、このチームは、ワンツーのパスによって、この地域をすばやく通り抜けることを主にした。

個人のキープ力がどれほど高くても、激しいワンマークや「かこい込み」にあえば、ボールを失い、カウンターを食らうもとになる。

その過ちを避けるためのレアルの中盤でのポスト・プレーとそれにつづく、短いパスの展開は、理詰めであって、イマジネーションにあふれ、馴れた手順ではあるが、相手の意表をつく意図が加わっていた。オリンピアの選手には、まことに奪いにくく、難しい中盤での戦いだった。

【フィーゴとロベカルのクロスを生むために】

その中盤優位からの展開のしめくくりは、もちろんシュートだが、そのシュートチャンスをつくるための手順のひとつが、右のフィーゴと左のロベルト・カルロス(失礼して、ロベカルと略することに)が得意のクロスを出す位置で、どれだけのスペース、いいかえれば、どれだけの時間的余裕を持たせるかだった。世界のトップクラスのサイドアタッカーのクロスは、昔でいうカンタリング(中央へ送球する)という大まかなものでなく、どの位置の、どの高さに合わせるかという、いわゆるピンポイントパスである。そしてまた、重要なのはピンポイントへ落とす(ヘディングの高さにあわせる)のとは別に、ひとつの方向へのライナー、あるいはグラウンダーを送って、その線上での複数のシューターをからませる“線上攻撃”をも演出しなくてはならない。

【1点目の手順とフィニッシュ】 <<図:レアル1点目 ボールの軌跡

Tphoto021203ronaldcele_1 トヨタカップその典型が14分の1点目だった。

右サイドの相手のスローインをDF(イエロかエルゲラだったが)がヘディングではじきかえし、それを右前にいたラウルが(第1のポスト)ヘッドで、すぐうしろのフィーゴにわたすところから、パス攻撃がはじまった。フィーゴはこれをヘッドで左へ、自陣センターサークル近くのカンビアッソへ、これをうけたカンビアッソは左斜め前へドリブルして、相手陣、センターサークル、やや外(中央から左より)のジダンにわたす。

ジダンはこのボールを、(相手ゴールに背を向けたまま)右足アウトで、左サイドへあがってきたロベカルへ。(第2のポスト)

ラウルのヘッドから始まった早い展開に、ここまでは妨害なく(相手スローインを取った直後に、右から左へ、早いたタッチでボールを動かしたため)ロベカルは、ドリブルで前進しながら自分のいいタイミングで妨害なしにパスを出せた。

そのロベカルのパスコースにはいってきたのがラウル。右タッチぎわでこの攻撃の発端を受け持った彼は、大きくスワーブを描いて、相手ペナルティエリアの左より2〜3メートル手前まではいってきた。

相手DFの配置は、左へ開いたジダンへ1人が引っぱられ、右にいるフィーゴにも — と、ゴールで正面にいるDF2人の間もスペースができていた。

ロベカルが左から右斜め前へ出した早いクロスがラウルに達したとき、ラウルはノータッチでやりすごす。ボールがゴール正面、ペナルティエリアぎりぎりにきたとき、第2列にいたロナウドがダッシュした。それに少し遅れてDFのペドロ・ベニテスが足を伸ばしたが届かない。スライディングしてしまったペドロを尻目にロナウドは見事なトラッピングに続くシュートで1点目を、GKの右を抜くシュートで奪ったのだった。

ラウル、フィーゴ、カンビアッソ、ジダン、ロベカル、ラウルがそれぞれワンプレーずつからんで作り上げた、最も「ぜいたく」なパス攻撃の最後を、これも最も高価なプレーヤーの一人が、狂いなくきめた。

 

経過を長く語ったので、きょうはここで打ち切り、すぐ続きを送ります。日曜か月曜日にまた。

(撮影:富越正秀)

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