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2002年11月

続・アルゼンチン戦:ゴールを生む動き

2002/11/29(金)

続・アルゼンチン戦:ゴールを生む動き

 11月20日(埼玉)61,816人
 日本 0 (前半0-0 後半0-2) 2 アルゼンチン
この試合で多くの人に物足らなかったのは、やはり、日本が無得点だったことだろう。

Tphototakahara021120_1 日本vsアルゼンチン 高原日本がゴールを生むためには、たとえ高原のようないいストライカーが力をつけたとしても、第2列から飛び出しがある方が大きなチャンスが生まれやすい。アルゼンチンの得点シーンを詳述したのは、彼らのゴールもまた第2列のソリンのエリア内への飛び出しがあったし、サネッティの支援の走りあがりもあった。右サイドから攻めるとき、ベロンのFKのときも、オルテガのラストパス(クロス)のときも、外側をサネッティが走りあがったのを、テレビで気づかれた方もいたハズ。

第2列が攻撃に加わることによって、相手のマークがずれ、シュートチャンスが大きくなる。

ワールドカップでも、さきのジャマイカ戦でも、稲本や小野の飛び出しがゴールを生み出している。

この試合では小笠原が一度いい位置への上がりをみせたが、あとが続かなかった。

相手が個人的にも、チーム力でも、ジャマイカより上ということはあっても、やはりゴールを狙うための第2列の飛び出しを見せてほしい。それは、MFの顔ぶれが誰であろうと、現代のサッカーでは、ゴールを奪うための条件のひとつだからだ。

日本代表チームが強いチームを相手にして、無失点でゆくというのは奇跡に近い。ワールドカップのロシア戦も、エリア内での反則を主審が取らなかった幸運があったから、1−0で勝てたといえる。従って、どの相手にも常にゴールを奪うための動きが重要となる。

ジーコが選手たちにこうした攻撃マインドと動きを植え付けてゆくのを見たいと思う。

(撮影:富越正秀)

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アルゼンチン戦: 2分間、2点の差

2002/11/22(金)

 11月20日(埼玉)61,816人
 日本 0 (前半0-0 後半0-2) 2 アルゼンチン

【ベロンのプレーメーク】

来日予定にはいっていたリケルメとアイマールの姿をピッチで見ることはできなかったが、チームの中心となるベロンが、6月のワールドカップ当時の絶不調から見違えるよう — いわば本来の姿に近かったから、この日のアルゼンチンはセレステ(空色)とブランコ(白)の彼等の国旗のデザインのユニフォームを着用するにふさわしいチームだった。

【前半・互角、高原の惜しいチャンス】

そのアルゼンチンを相手に日本代表が — それも、中田(英)、小野、稲本といった中盤のスター3人を欠いて、前半はまず互角に組んでの試合だったから、日本代表クラス全体のレベルアップを改めて感じたものだ。

もちろん、それは、ひとりひとりが互角というのではなく、互角の気迫を持ちながら、日本の得意の数的優位のボールの奪い合い — を保ったからだった。決定的なチャンスは、日本の方が最初に掴んだ。中村俊輔の右からのFKが低くて、ベロンのヘッドで弾き返されたのを、名良橋がロングシュートし、その低いボールが高原の足元へとび、高原が足のウラで止めて右足でシュートしたのだった。作り上げたというより偶発的なこういうチャンスは、全くのノーマークとなることが多いが、そのチャンスを確実につかむ選手は少ない。いま絶好調の高原だったが、この右足のインサイドでなぐりつけたシュートは、曲線を描いて左ポストの外へ流れてしまった。これを決めておけが、試合の様相は違ったものになったろうし、高原にもまた大きな自信となったハズだが・・・

【アルゼンチンの1点目】

後半2分のアルゼンチンの1点目は、スタンドから見ていたものには、急に日本のDFの選手の間に隙間ができて、そこをつかれた、といった感じだが、これは、さすがにベロンと彼の仲間らしいゴール。日本が攻めて、右からのクロスに高原が合わせようとして防がれたチャンスの直後、DFのキローガからの右サイドのロングボールを中西が体で止めたときにハンドの反則をとられ、右より25メートルのFKから得点コースがつくられた。ボールを置いたベロンの右横をサネッティが前進する。しかしベロンは、すぐ斜め前のオルテガに渡す。エリアぎりぎり右よりにいたオルテガは少しキープし、これも短く中央へグラウンダーのパスを送ると、ゴール正面に左MFのソリンがはいりこんでいた。ノーマークの彼が反転して、利き足の左でシュートしたとき、秋田が防ぎにいったが、秋田の足にあたったボールはGK楢崎の逆をついて、その左手横を通りゴールへはいった。

前半に6回あったベロンのFKのうち、こういう位置からのキックはファーを狙うロブ(高くあげる)のボールだったから、日本側はFWの鈴木もエリア内に戻って空中戦に備えていた。それを短いパス2本でつなぎ、意表をついたところがやはりアルゼンチン。

Tphoto021120argentinecele_1_2 【アルゼンチン、2点目】

日本vsアルゼンチンその2分後、2点目が生まれる。

 左サイドで、日本のボールを奪ったソラーリがベロンにパスをし、自分はゴール前へ突進、ベロンは右ペナルティエリア角のすぐ外にいたオルテガへ送ると、オルテガが小さく前進して浮かせたクロスを送った。そこにいたのは、またもソリン。だがヘディングをしたのは、その外をうしろから走りこんだクレスポ。長身のストライカーは、ヘディングシュートの見本のような強烈なボールを右ポストぎわへ叩きこんだ。

【組織とともに1対1の守り】

2得点とも、ラストパスはオルテガから。1点目のときに、応対したのは松田。2点目は中西だったが、両DFとも、相手を自分の間合いにいれることができず、オルテガはFKを蹴るように余裕を持って蹴ったから、ゴロのパスも、浮かせたクロスも、目標へ正確に届いた。

1点目は、FKで相手が意表をつく短いパスを使ったから、守備が乱れた。2点目は味方ボールを奪われてからの相手の展開であったとはいいながら、DFが間合いをつめ、自由なキックをさせないことが守りの基本で、こうした局面での個々の守備力をどこまで高められるかが、これこそジーコが望んでいるポイントのひとつだろう。

この後半の僅かの2分で、2ゴールを奪われたこと、こちらはこうした2分間を作れなかったことが、力の差であり、これを埋めるのが課題になる。

【得点できなかったが・・・】

もともと、相手との競り合いに強い鈴木が、欧州での経験でさらに、その特色をのばしたのはよいが、キープしてからのパスや、シュートへの持ってゆきかたは、これから・・・国内No1FWの高原は速さも強さも、このクラス相手にゆけるところをみせたが、まだアジャラやサムエル達のマークの中で、ゴールを奪うことはできなかった。

サポーターから大拍手を受けた中村はもちろん、中田(浩)、福西、小笠原達がそれぞれ力をみせて、このポジションの層の厚いことを示した。名良橋の右サイドは素晴らしく、余裕もあったが、右前の狭い角度からシュートを狙うことも必要だろう。

ジーコ体制の2回目の試合、ベテラン達のいいプレーは見た。この次は若手層の新しい魅力も見せてほしいと思う。

(写真はアルゼンチンがゴールを決めた後の場面/撮影:富越正秀)

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続・ジーコへの期待:キックと1対1の能力

2002/11/15(金)

Tphoto820708platini_1 【再びキックのこと】

きわめて技術の高い選手だったジーコが監督になったから — といって、ジーコが代表選手の個人技術やボジションプレーについて指導する時間もないハズ。ジーコ監督によって日本代表の個人技アップを期待するのはムリだろう — という見方もできる。

しかし監督の見る目、評価が厳しければ、プレーヤーの反応もまた違ってくるものだ。

2002年ワールドカップを経験して、日本サッカーの専門家達、例えばNHKで解説していた岡田武史(もと日本代表監督)などが、日本選手のキックのレベルアップが必要と語るようになったのは、いい傾向だと思う。

ただし、キックの上達というのは(他の技術のほとんどもそうだが)反復練習、つまり練習の量と、それぞれの選手の工夫による。

たとえば1984年の欧州選手権に優勝したフランス代表のミシェル・プラティニは、ロングパスやFKに定評があったが、彼はその練習のひとつとして、「ハーフラインからゴールを狙ってシュートした」と言っていた。彼が来日したときに、“取材”ではなくお茶をいっしょに飲む(彼は自分だけが取材を受けるのを嫌って、そのときは一切のインタビューを拒否した)という形で聞いた話だった。もともと長いキックが得意だった彼は、その飛距離を伸ばすとともに、ゴールを狙うことで、精度を高めた。50メートルの距離からゴールに必ずはいるようになれば、30〜40メートルはコントロールキックで、精度はさらに増すことになる。若い時期のこうした練習が、彼のFKやシュートに結びついている。

自らがこういう経験を持つコーチは、この選手のシュートはなぜバーを超えるのか、などという失敗の原因を見つけることができるし、それを修正するについて、折をみて、ヒントを伝えることもできる。

 

【ドリブルとボールを奪う能力】

ドリブルで相手の守りを突破し、相手のドリブルを防ぐ、ドイツ語でいう「カンプ・ウム・デム・バル」。ボールをめぐる戦いでは、1対1の能力が大きくものをいう。体の強さで欧米人やアフリカ人に劣る日本人は、これを補い、同時に自分たちの敏捷性を生かすために、相手のドリブルを複数で防ぎ、パス攻撃で攻める。いわゆる組織プレーを大切にしてきた。当然のことで、今後も続けなければならないが、1対1でボールを奪う能力がもう少し伸びれば — あるいは、ドリブルで相手を抜く力がアップすれば — われわれの組織的な守りも攻撃も、もっとよくなることになる。この個人能力、ボール扱いとともに対敵動作のアップも、日本代表にとっては必要となる。

鹿島アントラーズの若手層の試合では、カバーリングよりも1対1で負けないことを要求しているのはクラブの総監督であったジーコの方針というから、彼は、日本のディフェンダーの個人の防御力アップや、攻撃陣の個人の突破やキープにも気を配るハズだ。

そして何より、彼の影響によって、日本の若年層の遊びや練習に、ドリブルやボールの奪い合いが多くなることが期待できる。

(撮影:富越正秀)

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80年代のジーコのブラジルとプラティニのフランス

2002/11/08(金)

Tphot0860621frabraplatini_  80年代前半にブラジルにジーコとその仲間のミッドフィールド・タレントが活躍したのと同じ時期に、フランス代表にもミシェル・プラティニとその仲間が芸術的な中盤の構成を演じた。
           
1955年6月21日生まれのプラティニはジーコより2歳若いが、やはり78年アルゼンチン・ワールドカップから、82年、86年と3度のワールドカップ に出場し、82年はベスト4、86年は3位となったほか、自国で開催した1984年ヨーロッパ選手権でフランスを王座につけた。
           
プラティニと同世代に優秀なプレーヤーがそろったが、なかでも、彼より3歳年長で、小柄なところから“ナポレオン”と呼ばれたアラン・ジレス、プラティニ と同年、同月、2日遅く生まれたマリ共和国出身のジャン・ティガナ(稲本のいるフルハムの監督)は、82年のジャンジーニ、84、86年のフェルナンデス とも、強くて、しなやかで、すばらしい展開を演出するMF陣をつくったものだ。
           
          私は、このMF陣を、デュマの歴史小説「Les Troires Mousquetaires = レ トロワ ムスケティーレ = 日本名“3銃士”」になぞろえて、3銃士、あるいは4銃士と呼んでみたが、ヨーロッパではどうだったろう。
           
それはともかく、プラティニ、ジレス、ティガナは、プラティニには強い長いキックを生かすロングパスと、自らの突破とシュート(もちろんFKも)があり、 小柄なジレスには、巧みなポジショニングと、間をとる短いパス、そしてゴール前の狭いスペースへ入りこむずうずうしさがあり、ティガナは、相手のボールを 奪う、予測とタックルと、奪ってからの待ちあがりに非凡なものがあった。この3人の噛み合わせと、フェルナンデスの力強さが加わった4銃士(あるいは、ダ ルタニアンと3銃士というべきか)は、86年のワールドカップの準々決勝でジーコ、ソクラテスのブラジルと対戦した。それは、記者席で見ている私たちが、 ふるえるほど、芸術的で戦闘的なサッカーだった。この大会で優勝したマラドーナが、テレビで見ながら「こんな試合をいつまでも見たい、ずっと続いてほし い」と叫んだという。
           
このプラティニ、ジレス、ティガナ、フェルナンデスの中盤は、ブラジルの“黄金”と奇妙な一致があった。それは傑出したストライカーを持っていなかったこ と。(86年のブラジルはカレッカがいたが、クアルテッドは老いて故障がちだったし、フランスのロシュトーはよくケガをした。84年のフランスの欧州制覇 はプラティニがユベントスに移って自らの得点力を開発して大会の得点王となったためだったが、86年は西ドイツに先制されたあと、自ら得点しようと前残り になったのがマイナスに作用してしまった。
           
          攻撃展開に各人芸をみせた同じ時期の二つの偉大なチームの不思議な共通項ーストライカーについては、また別の機会に。
           
          マラドーナが感嘆の声をあげたフランス対ブラジル戦の試合ぶりは賀川サッカーライブラリー<このくにとサッカー>に記載されています。
           >>http://www.fcjapan.co.jp/KSL/story/522.html
               
        (写真はフランス vs ブラジル/撮影:富越正秀)

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監督ジーコへの期待 1 ボールの扱い、中でもキック上達を

2002/11/01(金)

Tphoto820623socratesbra_1  ジーコの「黄金のクアルテット」の仲間であった“ドトール”ソクラテスが1984年に来日したとき、「あなたがすごいと思うようなプレーヤーはいるのか」と聞いたとき「それはジーコです。彼のようなパーフェクトなプレーヤーは羨ましく思う」という答えが返ってきた。190センチの長身だが、それだけ足も大きく、足首を立てて蹴るインステップは蹴りにくい。ドリブルシュートもPKもすべてインサイドキックであったソクラテスから見れば、173センチの小柄なジーコは、それだけに足の大きさがキックに適当で、それだけに多種多様のキックのできるジーコが羨ましかったに違いない。そのキックをはじめ、多彩なボールテクニックを、パーフェクトにまで高めたプレーヤー、それがジーコだった。

キャプテンシーで仲間から尊敬されていたドトールが感嘆するほどの選手だったジーコは、すでに鹿島でチームとプレーヤーの指導の経験を積んで成果をあげているが、今度、彼が日本代表チームの監督となったことで、私が一番に期待するのは、選手の自主判断や、その技術の特性を大切する彼によって、日本サッカー界全体が、もっと「個人」力アップに向かうことだ。

幸いなことに、日本サッカー界の若年層育成は、優秀な有給コーチと、多くのボランティアコーチの努力によって、そしてまたJリーグという目標のあることで、とてもうまく進んでいるといっていい。学校の先生も、クラブのコーチも、ずいぶん勉強し、選手の個々の能力開発や、チーム戦術の向上などは、わたしが関西サッカー協会の技術委員長をしていた20-30年前とは比べものにならないほど進んでいる。そしてまたサッカーをしたい、サッカーに打ち込んでみたいという多くの若者のなかにはきわめて優秀な素材が加わっている。いい素材が集まり、ぞくぞくと生まれた上質のクラウンドで(たとえ中高生のチームは毎日でなくても)試合や練習ができるいい環境も整ってきた。

日本のサッカーの前途はまことに明るいといえる。

しかし、これだけよくなった環境で、すべてのプレーヤーが、この競技の原点であるボールの扱いに習熟しているか、といえば、そうでもない。とくにキックの技術に関しては、昔にくらべても大幅に進歩しているとはいい難い。

それは、キックやヘディングという、ボールを自分の肉体の一部で叩き、狙った方向へ、狙ったスピードで、狙った高さへ到達させるためには反復練習が必要であり、その繰り返しの練習を重ねていないからだといえる。

ジーコは、幼いころから才能に注目されたが、反復練習によってパーフェクトにまで技術を高めた経験をもっている。彼が中盤に中田、小野、中村、稲本の4人を配置したことや、3DFから4DFにしたことなども大切なことには違いないが、わたしは、まず、日本サッカー界全体が、選手時代のジーコに思いをめぐらせ、個人能力への回帰 — 特にキックの上達に向かうことを期待している。

 <つづく>

(写真はドトール/撮影:冨越正秀)

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