80年代のジーコのブラジルとプラティニのフランス
80年代前半にブラジルにジーコとその仲間のミッドフィールド・タレントが活躍したのと同じ時期に、フランス代表にもミシェル・プラティニとその仲間が芸術的な中盤の構成を演じた。
1955年6月21日生まれのプラティニはジーコより2歳若いが、やはり78年アルゼンチン・ワールドカップから、82年、86年と3度のワールドカップ
に出場し、82年はベスト4、86年は3位となったほか、自国で開催した1984年ヨーロッパ選手権でフランスを王座につけた。
プラティニと同世代に優秀なプレーヤーがそろったが、なかでも、彼より3歳年長で、小柄なところから“ナポレオン”と呼ばれたアラン・ジレス、プラティニ
と同年、同月、2日遅く生まれたマリ共和国出身のジャン・ティガナ(稲本のいるフルハムの監督)は、82年のジャンジーニ、84、86年のフェルナンデス
とも、強くて、しなやかで、すばらしい展開を演出するMF陣をつくったものだ。
私は、このMF陣を、デュマの歴史小説「Les Troires Mousquetaires = レ トロワ ムスケティーレ = 日本名“3銃士”」になぞろえて、3銃士、あるいは4銃士と呼んでみたが、ヨーロッパではどうだったろう。
それはともかく、プラティニ、ジレス、ティガナは、プラティニには強い長いキックを生かすロングパスと、自らの突破とシュート(もちろんFKも)があり、
小柄なジレスには、巧みなポジショニングと、間をとる短いパス、そしてゴール前の狭いスペースへ入りこむずうずうしさがあり、ティガナは、相手のボールを
奪う、予測とタックルと、奪ってからの待ちあがりに非凡なものがあった。この3人の噛み合わせと、フェルナンデスの力強さが加わった4銃士(あるいは、ダ
ルタニアンと3銃士というべきか)は、86年のワールドカップの準々決勝でジーコ、ソクラテスのブラジルと対戦した。それは、記者席で見ている私たちが、
ふるえるほど、芸術的で戦闘的なサッカーだった。この大会で優勝したマラドーナが、テレビで見ながら「こんな試合をいつまでも見たい、ずっと続いてほし
い」と叫んだという。
このプラティニ、ジレス、ティガナ、フェルナンデスの中盤は、ブラジルの“黄金”と奇妙な一致があった。それは傑出したストライカーを持っていなかったこ
と。(86年のブラジルはカレッカがいたが、クアルテッドは老いて故障がちだったし、フランスのロシュトーはよくケガをした。84年のフランスの欧州制覇
はプラティニがユベントスに移って自らの得点力を開発して大会の得点王となったためだったが、86年は西ドイツに先制されたあと、自ら得点しようと前残り
になったのがマイナスに作用してしまった。
攻撃展開に各人芸をみせた同じ時期の二つの偉大なチームの不思議な共通項ーストライカーについては、また別の機会に。
マラドーナが感嘆の声をあげたフランス対ブラジル戦の試合ぶりは賀川サッカーライブラリー<このくにとサッカー>に記載されています。
>>http://www.fcjapan.co.jp/KSL/story/522.html
(写真はフランス vs ブラジル/撮影:富越正秀)
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