新しい攻撃メンバーを軸に乗り切ったサウジとのホーム戦

2016/11/16(水)

――2-1の勝利。まずはお祝いですね。

賀川:ワールドカップのアジア最終予選Bグループの次の試合は来年3月ですから、それまで日本の多くのファンは、明るい気分で過ごせますね。

――監督は新しい攻撃メンバーを登場させました。これまでの、本田、岡崎、香川でなく、大迫をトップに、第2列は右から久保、清武、原口をもってきました

賀川:長谷部キャプテンと山口蛍が守備的MF、DFは右が酒井宏樹、左が長友、中央が吉田と森重、GKが西川でした。前半早々から攻め続け、左右から攻撃を仕掛けました。シュートも8本ありました。

――大迫がポストプレーでボールをおさめたのもよかった

賀川:これまでのレギュラー岡崎は、イングランドのプレミアリーグ優勝チーム、レスターの2トップのひとりですが、ハリルホジッチ監督は大迫を持ってきました。その大迫がボールを受けられたので、攻撃展開がスムースにゆきました。

――攻めて、シュートチャンスもあったが、ゴールはPKからでした

賀川:攻め込んだ後、いわゆるこぼれ球を清武がシュートし、サウジアラビアの選手が体でこのボールを止めたとき、レフェリーは笛を吹いた。スローで見ると、胸で止めたようだったが、見る角度によって、腕で止めたように見えたのでしょう。私はテレビの前で、シュートが飛んで、サウジアラビア選手の体に当たったとき、「PKだ」と叫びましたからね。

――サウジアラビア側は抗議したが、判定がかわることはなく、清武がPKを右足で決めました

賀川:清武はボールをプレースしてから、一度も蹴る方向を見ないで、右足でシュートしました。ゴールキーパーが(清武から見て)先に右へ動いたので、その逆の左ポスト際にサイドキックで決めたのです。試合中のPKもキッカーにとっては大きな仕事ですが、清武は落ち着いているように見えました。こういうところにも、今の彼の充実ぶりが見えましたね。

――大迫にシュートチャンスがありました

賀川:中央でDFを右へかわしてシュートした場面があった。こういうチャンスを決めると、自分自身にも大きなプラスになるはずでした。惜しい場面もあったが、とにかく1-0でリードしてハーフタイムに入ったので、埼玉スタジアムの58000人も、テレビの前の日本中のファンもほっとしたことでしょう。

――後半のスタートからハリルホジッチ監督は、久保に代えて本田を投入しました。

賀川:本田はイタリアで試合に出る機会が少なくなって、動きが悪いということだったが、彼のように止まった形でゴールを受けることのできる選手は日本代表には貴重だと思っています。早々に彼の強いシュートがありました。

――19分には、清武に代えて香川が入りました

賀川:動きの量が多くて、パスもつながり、相手を圧迫して攻め続けていたが、ゴールは奪えない—ということで、香川、本田たち、これまでの攻撃陣を持ってきたのかな。

――後半35分に長友のグラウンダーのクロスから原口が決めました

賀川:長友からのボールを、香川がヒールに当てて、原口に渡し、原口がノーマークシュートを決めました。長友が左に食い込んできてのパスのタイミングや、コースがうまく合いました。このあたりは、彼ら「古い」代表の呼吸かもしれませんね。

――試合後の監督談話では、古株のプレーヤーに対して厳しかったようですが、、

賀川:2点目を取ったときに、これで一安心と思ったが、同時に2-0になったことで失点の懸念も出てきました。試合の終盤に相手が攻めへの意欲を高め、45分に1-2とされるのです。

――PKの1ゴールの後、2点目を取っていてよかった、という気がしました。

賀川:まあ、2点目を取れたという安心感が、1点を失うことになったのかどうか、このあたりにも今の日本代表の問題があるのでしょう。

――ともかく、勝ったことは大きい

賀川:これで、最終予選B組のなかで、上位への望みをつなぎました。日本選手、日本代表の戦いの第一は、全員のチームワークですが、外国のチームに属している選手の多い今の代表には、チームワークを高める期間も必要でしょう。最終予選でそれぞれの試合で結果を出しながら、各個人の能力が高まり、代表チーム全体の底上げが少しずつでも進んでいるのは、うれしいことです。

――選手一人ひとりにも収穫があったでしょう。まずは、よかった、というのが実感です

賀川:もちろん日本代表の進歩という点では、まだまだ個人力についても、チームプレーについても、望みたいことはたくさんあります。

――そういう点については、今後、折に触れて語ることにしましょう

賀川:まずは、選手たち、監督、コーチたち、おめでとう。次に向かっての選手の皆さんの進歩を祈ります。

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【お知らせ】シンポジウム「日本サッカーのルーツを語ろう!」

2016/11/15(火)

賀川浩も設立当初からの会員である、特定非営利活動法人 サロン2002が毎年開催している公開シンポジウムが12月17日に開催され、そのなかで演者として講演します。

ぜひ多くの皆様にご参加いただければと思います。

特定非営利活動法人 サロン2002 公 開 シンポジウム2016
日本サッカーのルーツを語ろう!
-東京高等師範学校の足跡を中心にー

主 催 : 特定非営利活動法人サロン 2002

後 援 : 筑波大学蹴球部同窓会茗友サッカークラブ、※横浜カントリーアンドアスレティッククラブ、※(公財)日本サッカー協会、※日本サッカーミュージアム ほか
※は申請中

協 力 : 日本サッカー史研究会(予定) ほか

日 時 : 2016(平成 28)年 12 月 17 日(土) 14:00~17:00 (受付 13:30~)

会 場 : 桐陰会館
〒112-0012 東京都文京区大塚1-9-1(筑波大学附属中学・高校 敷地内)
東京メトロ 有楽町線 護国寺駅 5 番出口より徒歩 8 分
東京メトロ 丸ノ内線 茗荷谷駅 より徒歩 10 分

演 者 : 真田 久(筑波大学体育専門学群長/筑波大学オリンピック教育プラットフォーム事務局長)
賀川 浩(スポーツジャーナリスト/2010 年第 7 回日本サッカー殿堂入り)
牛木 素吉郎(スポーツジャーナリスト/2011 年第 8 回日本サッカー殿堂入り)
※中塚 義実(NPO 法人サロン 2002 理事長/茗友 SC 理事長/筑波大学附属高校)
※コーディネーターを兼ねる

参加申込 : サロン2002公開シンポジウム参加申込フォームからお申し込みください
https://goo.gl/forms/PMp1sbAnHAzZUc5Y2

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金容植氏についての記事にコメントが掲載されました

2016/11/09(水)

韓国のメディアの金容植氏についての記事のなかで、賀川浩のコメントが掲載されました。https://storyfunding.daum.net/episode/14306

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全員が最後まで戦いアウェーでオーストラリアと引き分け

2016/10/12(水)

アジア最終予選(Road to Russia)
2016年10月11日 オーストラリア/ドックランズスタジアム
オーストラリア 1(0-1)1 日本

――前半5分に日本は原口のゴールでリードした

賀川:ボールを奪ってから原口のシュートに到る過程が見事でしたね。

――日本陣内の左サイドで相手のパスを取った原口が内側の長谷部に渡し、長谷部が前方の本田にパスした。本田は左側を走り上がる原口の前方のスペースへパスを送り、原口はエリア内でGKラインと1対1になって、その右側(GKの左手側)を抜くシュートを決めた。

賀川:本田からのパスのタイミング、ボールの方向ともに申し分なく、原口は落ち着いて相手GKの構えを見て、シュートの方向を決めるところがテレビのリピートの映像でよく見えていた。

――見事な攻めとゴールでした

賀川:本田を中央のCFの位置に配した監督さんの狙いが当たった。

――この日の攻撃陣は左に原口、トップに本田、右に小林、そしてトップ下に香川を置き、山口と長谷部が支援する形となり、左DFは槙野、右は酒井高、守りの中央部は森重と吉田という不動の2人だった。

賀川:本田は日本のFWのなかでは体の芯が強く、彼のところでボールを止めることができる。もちろん得点力もある。これまで右サイドに配していたのを、この試合では中央へ持ってきた。

――それが最初のゴールにも生きたわけですね

賀川:1-0となったあと日本の攻撃回数は少し増えたが、全体としてはオーストラリアの方がボールを持つ時間が多かった。

――彼らも結構つないできました

賀川:オーストラリアは、今やいきなりロングボールを日本のゴール前へ送ってくるというのでなく、中盤でのボールの奪い合いからボールのキープを高め、左右からのクロスを送る、ときには中央突破もというやり方だった。

――ボールの奪い合いは互いに負けないぞという意志が見えていました。日本にもチャンスはあったのだが

賀川:26分から28分ごろに左からの攻めでチャンスがあった。本田のシュートがGKライアンの正面へ飛んだのもあった。サイドから崩しにかかって、もう一息だったのだが。

――前半の日本のシュートは3本、オーストラリアは5本でした

賀川:前半はじめにも日本が攻めたが6分に相手に攻め込まれたとき、エリア内で倒してPKを与えてしまった。原口が相手の後方から当たってしまった。

――ノーマークになっていたから、これはと防ぎに行ったのでしょうが

賀川:こういうピンチのときになんとかしようという気持ちはあって当然だが、エリア内のファウルはPKで、PKは試合の流れの中の相手のノーマークシュートよりも、なお失点になることが多いからね。

――U-16も立て続けにPKを取られて2-4で負けましたからね

賀川:こういうPKのときはゴールキーパーは先にヤマをかけて動きたいものだが、実際は先に動かないがいいと私は思っている。ビッグゲームでのPKを随分見てきた経験からそう思うのです。

――テレビの前で先に動くなと叫んでいましたね

賀川:でも結局は決められた。ゴールキーパーにとっても緊張する場面だが、相手のキッカーにも同じようにプレッシャーがかかるのですよ。

――そのうちにPK論をまたやってください

賀川:オーストラリアはこのゴールで元気づく。

――日本の天敵とも言うべきベテランのケーヒルも投入してきました

賀川:日本にもチャンスがあった。クロスを小林がヘッド、GKが防いでCKに逃げた。まぁこういうヘッドの強さという点になると私たち古いファンは60~70年代の日本のFW釜本邦茂を思い出してしまう。

――ヘディングがうまかった

賀川:足のシュートも正確ですごかったが、ヘディングはクロスの折り返しのヘッドでも、単に落とすだけでなく狙った仲間の頭上に合わせてヘディングできたからね。

――いまは長身選手も多い。ヘディングのゴールは大きな武器の一つだから、ずば抜けた長身でなくても空中戦で勝つことも大事ですね

賀川:2006年ドイツW杯の初戦でオーストラリアに敗れたのは空中戦からだった。

――日本は小林が倒れて一時は10人で戦う時間帯もあってハラハラした。清武を37分に(小林と交代)、浅野を本田に代えて(39分)送り込んだが、2点目を生むことはできなかった

賀川:アジアでも1、2と言われるオーストラリアとのアウェーで引き分けたのだから、まずまずと言えるかもしれないが、こういう試合で勝つ日本を見られればと思ってしまう。

――イレブン全員が最後まで戦い続け、ともかく勝ち点1を加えました

賀川:普通なら、まずまずと言いたいが、何しろこのチームは最終予選の最初にホームでの試合を落としているから、ずっと勝ち続けなければならない立場にいるのです。代表選手、代表チームというのは責任があって大変だが、このあとももう一段のがんばりを見せてほしいものです。若い選手も伸びてきているし、ヨーロッパ組も代表の環境に慣れて来れば、このあとの試合をいい状態で迎えることができるでしょう。

――――次は11月15日に埼玉でサウジとの試合です

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目いっぱいの戦いでイラクに勝利

2016/10/11(火)

アジア最終予選(Road to Russia)
2016年10月06日 埼玉スタジアム2002
日本 2-1(1-0)イラク

タイムアップ直前の山口蛍のペナルティエリアいっぱいからのシュートが、ゴール前の密集地帯を通り抜けてゴールに飛び込み、2-1。日本代表はワールドカップアジア予選の対イラク戦を制して一歩前進、11日には強敵オーストラリアとアウェーで戦う。

前半26分に右サイドから清武が本田からの縦パスを受けて、ゴールラインまで進み、右ポスト近くの原口にパス。原口がヒールキックしたボールは背後にいたGKハミードの足間を通ってゴールへ転がり込んだ。相手ボールを自陣で奪ったこのカウンターは、奪った清武のドリブルと、本田のパス。その本田がゆっくりキープする間に、清武が後方から右サイドを駆け抜けて本田からのパスを受けるというスケールの大きいパス・アンド・ゴーから、左から右ポスト際まで走り込んだ原口にパス。原口はこのボールを自分の股下で右足ヒール(かかと)に当てると、ボールは原口に密着するように構えていたGKの足間を抜けた。

このパスとドリブルを組み合わせた日本の1点目はそれぞれの選手の技術の高さと清武の長い疾走で生まれたビューティフルゴールとして歴史に記録されるだろう。

後半に入り、15分にFKからのアブドゥルアミールのヘディングでイラクに同点にされると、勝たなければならない日本は、当然攻めに出る。イラクは引いて厚く守りながら、時おり攻め上がりを見せる。

この日の日本のラインアップは、トップが岡崎、第2列に右から本田、清武、原口、ボランチが長谷部、柏木、サイドバックは右が酒井宏、左が酒井高。守りの要のCDFは吉田と森重、GKは西川だった。

前半はじめは、少しパスミスなどもあったが、時間経過とともに選手たちの調子が高まり、粘り強くボールを奪い合い、また運動量も多かった。もちろん相手のイラクは個々のボールをめぐる戦いに強く、相手をイラつかせる心理プレーもなかなかのものだが、日本側の勝とうとする意欲は、そうしたイラクを相手に衰えることはなかった。

日本は後半に山口(22分、柏木と交代)、30分に浅野(岡崎と交代)、36分に大黒柱の本田に代えて小林を送り込んだ。45分ごろからロングボールの攻撃が始まった。自陣からのFKでヘディングの強い吉田が相手ゴール前へ進出した。DFからのロングボールをエリア内で吉田がヘディングで落とし、浅野が飛び込んで場内を沸かした。46分に2本のロングボールがエリア内に落ちた。48分には山口から左へ長いパスが出て、吉田が左コーナー近くでこのボールを取り、イラク側のファウルでFKになった。

このFKがイラクの命とり、日本の貴重なゴールを生むことになる。左コーナーの内側2メートルにセットされたボールを蹴ったのは清武。9.15メートル離れた2人のイラク選手の横を通り、速い球でゴール前へ。GKの前3メートルあたりで両チームの選手がヘディングで競り合い、高く上がったボールがゴール正面、ペナルティエリアのラインのすぐ内側に落ちると、そこに山口がいた。しっかりした助走と的確な踏み蹴りで、山口の右足はボールが地面に届く前にボールをたたき、シュートはゴール左に吸い込まれた。

スローのリピートは背番号16が右足でボールを正確にたたくところを映し、ゴール裏からのカメラはそのシュートがジャンプした19番の下を通ってゴールネットに飛び込んでくるのを捉えていた。2-1となった後の2分ばかりの間に、イラクが攻撃に出たことに、彼らの意地を見たが、日本代表はそうしたイラクの粘りを突き放した。

試合後の選手の談話には、ホッとしたという言葉が多かった。山口には自分の誕生日のゴールだったが、「あのシュートはふかしてしまうことが多いが、うまく蹴れてよかった」と、控え目だった。

日本代表が持ち味のパス攻撃でなく、終盤にロングボールの力攻めを演じたことは、相手を疲れさせ、自らの士気を高める効果はあっただろうが、ゴールを生んだのは、左サイドからのFK、つまりサイドからのクロスボールということになるのが、サッカーの面白さだろう。テレビで見たAFC U-16選手権のイラクとの試合で、相手が闘志をむき出しにして戦いを挑んできたとき、日本にはその感じが見えなかったことがあった。(2-4で敗れた)フル代表は自らが「目いっぱいに」戦うという姿勢を見せ、それが持てる技術を発揮することになったのだろうと感じている。これもまた、この競技の面白さだろう。

90歳をこえて、こういう試合を見られるのは、誠にありがたいこと。監督さんや選手の皆さんに感謝したい。

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9月10日の日本サッカー殿堂入り ベルリン・オリンピック代表チームとブラジル人のジーコ

2016/09/16(金)

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――9月10日に東京でのJFA殿堂入り式典に参加しましたね。いかがでしたか?

賀川:日本サッカー協会(JFA)の創設(1921年9月10日)を記念して9月10日はJFA創立記念日となっています。この記念日の行事に、その年の「殿堂入り」の式典があります。日本サッカーの発展にかかわり、大きな影響を及ぼした人たちを選んでの表彰です。

――13回目の今年から新しく「チーム表彰」の規定を設けたとのことで、1936年ベルリン・オリンピックの日本代表選手16人と監督、コーチ3人が選ばれました。19人の中には、すでに個人的に殿堂入りの人もいますが、今回はチーム全員ということです。そして個人の部でブラジル人のジーコも殿堂入りしました。賀川さんにはなじみのある人ですね。ジーコさんはもちろん、ベルリンの先輩たちも

賀川:Jリーグがスタートしたとき、ジーコは鹿島アントラーズで選手兼コーチをしていました。1978年にジーコが初めてブラジル代表としてワールドカップに出場したとき、そのデビュー試合をアルゼンチンのマル・デル・プラタで取材しましたよ。ピッチの芝がしっかり根つかず、ジーコがめくれた芝生を蹴っ飛ばしたのを見ています。

――ジーコは表彰式には出席しなかったのですね

賀川:会えるのを楽しみにしていましたが、来日していませんでした。ベルリン大会のチーム表彰で、当時のメンバーの遺族が多数出席していたので、表彰式もその他のレセプションも賑やかでしたが…

――1924年生まれの賀川さんから見れば1936年のベルリン・オリンピック代表は?

賀川:1936年は私が小学校6年生のときですから、日本サッカーが勝ったという話はそのころはあまり話題にならず私も聞いていません。ラジオのベルリンからの中継放送では女子水泳の「前畑ガンバレ」が有名でした。私も、深夜にベルリンからの中継放送をラジオで聞いた記憶があるが、どの放送だったか…のちに記録映画が日本でも上映されました。第一部の「民族の祭典」はとても人気になりました。サッカーは第二部の「美の祭典」に収録されていました。合宿や練習風景とイタリア対オーストリアの決勝が短い時間で紹介されました。日本の試合の場面はありませんが、このフィルムは懐かしく、戦後再上映されたときは、何度も映画館に足を運びました。

――ドイツの女性映画監督レニ・リーフェンシュタールの作品で映画としてもよくできているとの評判でしたね

賀川:そうですね。わたしが見たのはベルリン大会の翌年、たしか神戸一中に入学してからだったと思います。

――ベルリンの代表では神戸一中の先輩は案外少数ですね

賀川:早大が主力でしたからね。神戸一中はその少し前の時代から旧制高等学校を通じて東大や京大へ進学し、早大へは少数でした。慶應の方が多かったのです。ベルリンでは一中のOBは右近徳太郎さん(慶應)でした。

――その早大の先輩たちと戦後の付き合いがありましたね

賀川:ベルリンの対スウェーデン戦のヒーローのひとり川本泰三さんとは大阪クラブで天皇杯で一緒にプレーしたこともあり、またサッカー専門雑誌の企画で何度も話しました。釣りが好きで山の中の川へ行くのに、山に多少通じていた私が同行するようになり、そんな折にもベルリンのころの話をよく聞きましたよ。川本さんは兄・太郎のプレーを高く買っていたこともあり、「戦後、僕がサッカーをするのに賀川太郎や岩谷俊夫には随分迷惑もかけた。彼らのサッカーにも多少、役に立ったかもしれないがな」などと言っていましたよ。釜本邦茂の成長にも影の力になった人ですよ。

――ボールの扱いがとても上手だったとか…

賀川:僕は川本さんと一緒にプレーするようになって、ボールタッチに天賦の才があると知りましたよ。若い頃からボールを止め損なうのを見たことがないと言われていました。そのボール扱いからシュートの名人と言われるようになった成長過程については別の機会に譲りますが、先輩のこういう人がいたから、私は日本サッカーが戦後のある時期、長く低迷していたときにも、いつかもっとみんなが上手になると思い、諦めることはなかったのです。

――ベルリンで負けたスウェーデンについても調べましたね

賀川:1992年にスウェーデンでヨーロッパ選手権(EURO1992)が開催されたときに大会の取材とともに「1936年ベルリン」について調べたいと思いました。

――それで

賀川:驚いたのは、国内航空で隣席の人をはじめ、たくさんの人に36年のベルリンの話をすると、ほとんどの人が知っていたことです。父から聞いた、祖父が言っていた、叔父さんが話していた、といろいろなエピソードを語ってくれました。日本チームの動きが速く運動量が多かったこと、技術が優れていたこと。「ラジオのアナウンサーが実況放送で『そこにもヤパーナ(日本人)、ここにもヤパーナ』と日本選手の方が多く見えると、ヤパーナ、ヤパーナを繰り返したので、しばらくそのアナウンサーはヤパーナのあだ名で呼ばれていたこと、日本人はシュネール(速い)と繰り返しアナウンサーが読んでいたこと。

――敗れたスウェーデンの人たちの内で戦後も語り伝えられていたのですね

賀川:サッカーのスウェーデン社会での大きさや歴史を改めて感じましたね。このときは…

――日本でも2016年に「殿堂」のおかげでもう一度歴史を振り返ることができました。

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原口、浅野のゴールでタイに勝利

2016/09/07(水)

2016/09/06
2018年FIFAワールドカップ アジア最終予選(Road to Russia)
日本 2(1-0、1-0)0 タイ

――勝ちました。2-0です

賀川:守りを厚くして失点を防ぎ、カウンターで得点しようというタイに対して、日本はサイドから攻撃をかけ、圧迫し、反復して攻め続けました。

――第一戦と先発メンバーを代えました。FWに岡崎ではなく浅野、MFには清武ではなく原口が入り、山口が大島に代わっていました

賀川:山口は、このチームのレギュラーだと思っていた。浅野はリオのオリンピック予選と本番で活躍し、新しくフル代表のFWに入ってきた新鋭といえるでしょう。速さという武器があって、相手側には脅威となるFWです。

――キックオフから攻撃が繰り返され、19分にゴールが生まれました

賀川:11分に左タッチ際でFKがあり、香川がファーポスト際へ蹴り、本田がヘディングでなかへ返したが、誰も中央へ飛び込まなかった。惜しい場面だった。

――この得点は、17分30秒に香川が右サイドでボールを拾い、スローインとなった後の攻めだった。そのスローインから右の酒井宏にわたって、酒井宏が早めのクロスを強いボールで送り込みました

賀川:ゴール正面にいた本田の上を越え、その背後にいた原口がヘディングシュートを決めた。ゴールキーパーの右手側を抜く、見事なヘディングでした。右・左のクロスを繰り返していた攻めのひとつですが、クロスの線上に日本側が3人入っていたことで、その一番外(ゴール正面)へ入ってきた原口がノーマークでした。

――この後も、再三チャンスをつくりました

賀川:23分に左から浅野がクロスを送り、本田がシュートできなかったのも惜しいチャンス。30分には右からの長いクロスを原口がノーマークで受けてシュートする場面もあった。

――41分には本田のシュートがあり、46分にも右からのクロスを本田がヘディングし、ポスト際でGKが防ぐなど、チャンスをつくった

賀川:相手の攻めを押さえ込んで、まず危なげない45分でしたね。

――後半も日本が攻め、タイが守り、ときに反撃する形が続いた。日本の攻めも、短いパスのつなぎだけでなく、早めに相手DFラインの裏へ出すボールや、長いパスが増え、18分には香川がノーマークでシュートして、GKが防ぐ場面もあった。

賀川:相手DFラインの裏へ出て、縦パスをもらってのシュートチャンスは、相手GKが飛び出してくるので、決してやさしいものではないが…

――浅野のスピードも生きてきた

賀川:25分にヒヤリとするピンチがあった。

――タイが右タッチラインのスローインからボールをつなぎ、鋭いスルーパスを右前へ送った。10番のティーラシルが飛び出して、エリア内へ持ち込んだところを、GK西川が飛び出して、シュートを顔にあてて防いだ。吉田が並走してフリーにしなかったことと、西川の飛び出しが、危ない場面を救った

賀川:ピンチにあとにチャンスありで、この3分後に日本が2点目を奪う。

――29分に左からのクロスを香川がヘディングして、ため息が出た後、ハーフウェイラインからの浮き球のパスを追って、浅野がDFに走り勝ち、右足のシュートを決めた。ゴールキーパーは体に当てたが、ボールはゴールに入った

賀川:攻め込んだ後、クリアされたボールをダイレクトで前へ送り、それを浅野が相手DFの後方からスタートして頭でボールを押し出し、エリア内に5メートルほど入ったところで、右足シュートしたのだった。シンプルな縦パスだったが、浅野の特色の生きたゴールだった。

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アラブの強国UAEに敗戦

2016/09/03(土)


日本代表 1(1-1、0-1)2 UAE戦

――楽しみにしていたワールドカップ予選の第1戦は1-2でした

賀川:最終予選だから、アジアの強いチームとの対戦になるとはファンの皆さんも覚悟はしていたはずですが、いきなりそれを見せつけられました。UAE(アラブ首長国連邦)のしっかり守ってカウンターという形が成功した。もちろん彼らの一人ひとりが局面の競り合い、ゴール前でのマークを確実に行ったことが彼らの成功となった。

――前半入ってすぐ、日本がボールを支配するようになり、前半11分に右FKから本田のヘディングで先制しました

賀川:FKの位置はペナルティエリア右外2から3メートルだった。キッカーの清武にはコントロールキックの範囲で、自信のある距離だった。彼は高くあがりつつファーポイント側へ落下するボールを蹴った。一番左外にいた本田が飛び込んでヘディングして、ボールは左ポスト内側に飛び込みました。

――テレビの前で、たくさんの人がこれで楽になると思ったでしょうね

賀川:UAEは20分に同点にしました。日本ゴールから9分後です。彼らが諦めることなく、日本のボールを奪いにくるプレーを続けていたのが生きました。

――この失点の少し前にも、日本は岡崎がDFラインの裏へ出て、シュートするチャンスもあったのです

賀川:そうですね。だが、岡崎のそのチャンスの前にもUAEのFKがあった。彼らの守りから攻めへの転換はなかなかのものという印象でした。

――その「守りから攻め」が20分のFKとゴールを生みます

賀川:日本が右側から攻め、本田がドリブルして一旦後方に戻って、バックパスした。これを長谷部が取り、すぐ右の大島に渡した。大島は右タッチライン際の酒井宏にパスした。この時の左足のインパクトが弱くて、パスのスピードが遅く、酒井に届く前に相手が一人潰しに来た。酒井は奪われまいと強く蹴り、これが中央へゴロでころがってUAEの10番のオマル・アブドゥラフマンのとこへ行った。アブドゥラフマンはすぐ中央へ来たマブフートにパスした。マブフートが突進し、吉田が止めようとしてファウルをとられた。

――マブフートが倒れたので、おやっと思ったらレフェリーが近寄り吉田にイエローカードを提示した

賀川:スロービデオを見ると吉田がマブフートのシャツを握ったところが映されていた。

――FKを蹴る前にUAEが色々かけ引きをしましたね

賀川:大切なFKだった。ボール際に3人が集まり、11番のハリルが右足で蹴った。シュートはゴール右上の方へ上がってから落下した。GK西川は両手で止めようとしたが左手にあたったボールはゴール内に落ちて1-1となった。

――西川は代表で難しいシュートを止めてきた実績があったが、今度は止められなかった

賀川:シュートの直前に西川は右へ(キッカーからみれば左)にステップしたように見えた。UAEが誰がどこへ蹴るかを読ませまいと事前のところに工夫をしたこともあった。

――レベルの高い戦い。さすがに最終予選だと改めて思いました

賀川:1-1になったあとも日本はよく攻めた。「これが入らないか」と驚くような場合も一度や二度ではなかった。ファンは前半が同点のまま終わったあとも、後半には何とかしてくれるだろうと期待していた。

――新しい選手もいますからね

賀川:普通なら遠征してきたチームは後半に動きの量が落ちるのだが、UAEはよく動いた。攻められるにつれて、守りの連係も強くなったように見えた。しっかりと準備してきたのでしょうね。

――日本側はヨーロッパ組がシーズン中で、全員がそろったのは2日前だった

賀川:それは初めから予想されたことですが、26本もシュートしながら、1本とったというような攻めが多くはなかった。

――後半9分にペナルティ(PK)のピンチがきた。相手一人に3人が奪いに行って、大島の脚が引っかかって倒し、PKとなった

賀川:PKというのは、私は一般論としてはキッカーが勝つのは当然と思っている。しかし心理面もあってゴールキーパーの方が優位に立つこともあります。PK戦になるとゴールキーパーがPKを防ぐ場面は増えています。

――いつも、GKは先に動くな、と言っていますね

賀川:相手のキックの方向を読んで蹴るより先に、その方向を防ぐ動きに出るゴールキーパーもいます。PK戦でもその成功例もあります、私はゴールキーパーはヤマはかけても相手が蹴るまで動かない方が得と考えています。1982年のワールドカップで西ドイツとフランスがPK戦で勝敗を決めた時からたくさんのPK戦や試合のPKを見てきた。また自分が選手であったころ、チーム内で試合中のPKは任されていた経験からいけば、GKは先に動かない方が得だと思っています。この試合では日本のGK西川は先に動いてしまい、相手は落ち着いて正面に切り込みました。

――このPKで1-2になりました。前半の互いのゴールはFKからで、3得点ともプレースキック(停止球)からでした。蹴り終わるまで相手がキッカーの「邪魔」をすることのないFK、CK、PKはやはり大きな得点源でした

賀川:1-2となってUAEは「守ってカウンター」に自信を持ったでしょう。

――ボールを保持して攻撃をつづけてから二つのミスでボールを失い、そこから攻め込まれてFKとPKで2点を失った日本ですが、1-2となってから何度も攻撃し、挽回をはかりました

賀川:いいシュートがあっても相手のDFの体に当たることもあり長身のGKエイサの好セーブもあってゴールは生まれないままに時間が過ぎた。

――ゴールキーパーが「のってくる」状態になると守る側にはいいが、攻める側はしんどい

賀川:UAEのイレブンは最後までよく動いて、自分たちのがんばりで勝運をつかんだ。日本側は26本ものシュートを打ちながら、点にならず、ゴールラインを越えたように見えたシュートも得点と認められなかった、相手の粘りに運が味方したということでしょう。

――試合中、何度か声が出ていました

賀川:日本の見事な先制ゴールは誰もが「うまいな」と言うでしょう。清武のクロスと本田のヘディングの合作、チームの動きで相手がゴール正面中央部に気を取られたことなどなど…

――そういう日本の攻めにUAEはよく守りました。ゴール前、ペナルティエリアでの守りだけでなく中盤でのプレスもよかった

賀川:それが日本のミスを起こし、彼らのゴールにつながるのですから。PKとなった場面でもペナルティエリア内で日本の3人を相手に囲まれながら、一旦倒れたあとボールを奪い返し前へ出ようとして日本側のトリッピングの反則を誘発させたのです。アラブ系の選手には年齢を問わず老獪なプレーをする人がいますが、今度のPKもそうでしたね。

――得点が1点に終わったのはやはりシュート力ということですか

賀川:運という言葉もありますが、サッカーではやはり実績がものをいいます。1試合に1点平均とはゆかなくてもそれに近い実績を残して(GKの能力アップでゴールを奪うのは難しくなっていますが…)いるようなストライカーが欲しいと誰もが思っているが、かつての釜本邦茂のような選手はなかなか現れません。

――まぁストライカー得点論、育成論は別に話してもらうとしても、この後の試合はどうですか?

賀川:UAE戦の負けは負けですが選手たちはともかく何度もせめて相手の3倍以上のシュートを打って得点できなかった。しかし、シュート練習は誰であってもしっかりと回数を重ねなければなりません。サッカーの技術の多くを身に付けている代表の選手たちがキックやシュートという最も基礎になるプレーを自分のものにするのは当然のことです。そのポジションに必要なキックを始め、その仕事に必要なキックを習得することはとても大切です。なんといってもサッカーは「蹴球(しゅうきゅう)」と昔から呼ばれ、ボールを蹴ることが重要とされてきました。今度の9月10日にJFAの殿堂入りするベルリン五輪の日本代表16選手の多くはキックの名手であったことを私はよく知っています。そうした先輩たちの後を継ぐ日本代表が練習によってちょっとしたコツを取り戻し、シュート力を向上させることはパスの能力アップやランの向上にもつながり、チーム全体が新しい力を備えることと思って見ています。

――アラブの強国UAEに第一戦を落としたからといって引き下がるわけにはいきませんね

賀川:アジア最終予選を戦うという大きな仕事を全員が一致して乗り切ってほしいものです。次のタイとのアウェイを楽しみたいと思っています。

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PK戦に強いドイツのPK戦負け

2016/08/23(火)

リオのオリンピック・サッカー(男子)の決勝はブラジル対ドイツという好カード。1-1の同点のまま90分と、さらに15分ハーフの延長が過ぎてPK戦となり、ブラジルが5-4で勝った。

PK戦が主要国際大会で初めて登場したのは1976年の欧州選手権で、ベオグラードでの決勝の西ドイツ対チェコスロバキアで2-2の後、チェコがPK戦を5-3で制した。このPK戦で敗れた西ドイツ(ドイツ)は以来ユーロやワールドカップでのPK戦には常に勝ってきた。選手にもPK戦についての意識が強かったのだろうが、PKを蹴る選手のオーダー(順番)にも工夫が見られ、私の頭の中には「PK戦はドイツが強い」が定説になっていた。それが、リオの決勝でブラジルに敗れた。

このPK戦はドイツが先に蹴り、両チームとも4人目まで成功し、ドイツの5人目のニルス・ペーターゼンがGKに防がれ失敗。ブラジルの5人目のネイマールが決めて、5-4として金メダルを獲得した。

失敗したペーターゼンという選手についてはよく知らないが、彼のキックの前の所作を見ると、ボールをプレースして、シュートに入るまでの時間がいささか短いようだったし、シュートそのもののコースを相手GKに読まれていた上に、コースがGKのリーチの範囲だった。シューターの失敗といえるだろう。

相手の5人目の失敗の後を受けて、ブラジルの5人目はネイマールだった。5人目という、ひとつの「けじめ」となるキッカーにブラジルはチームで最も信頼のおけるネイマールを置いたのは常識的であっても、正しい判断だった。ネイマールは相手GKに自分のコースを読ませずに右足でしっかりと決めた。

取材で立ち会ったビッグトーナメントでの最初のPK戦は1982年ワールドカップの準決勝、西ドイツ対フランスだった。それ以来、PK戦のドラマチックな面白さはサッカーの試合中のゴールとはまた別の楽しみとなった。

今度のオリンピックサッカーの決勝を見て、改めてPK戦の面白味を皆さんと話し合いたいと思っている。

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日本スポーツの底力を見た400mリレーの銀メダル

2016/08/22(月)

リオデジャネイロオリンピックが終わりました。テレビ放送のおかげで、とても楽しい夏の日々でした。

日本のメダル数は、これまでの最多でした。それぞれの競技のコーチや選手たちの努力や進歩を示すものとして、お祝いしたい。そして、なにより私にうれしいのは、陸上競技の400mリレーで銀メダルを獲得したこと。専門家やメディアはリレーのバトンタッチの技術のうまさをその原因にあげている。その通りには違いないが、日本の4人の走者の実力が前回より高くなっていることを証明したことが、とてもよかったと思っています。

もちろん日本の短距離がアメリカや英国より上とまでは言いません。100mの決勝に進出できなかったことが、それを語っていますが、今度の400mリレーでの快挙は日本のスポーツ界全体に「速く走ろう」という気風を高めるものと期待しています。長いオリンピックとの付き合いで、私は日本が100mの世界トップクラスののランナーを持っている時には、サッカーにもまた足の速い、いいプレーヤーがいたことを知っているからです。

リオデジャネイロ大会の閉会式で、東京の新しい女性知事さんがリオの市長から五輪旗を受け取りました。これからいよいよ東京オリンピックに向かっての会場の準備に向かうことになります。

今から52年前、1964年の東京オリンピックのときに新聞社のスポーツ記者であった私は、60年ローマ大会が終わって、いよいよ「東京」だぞと、日本のスポーツ人の気分が高揚したのを改めて思い出します。

2020年の大会を自分の目で見られることができれば、いま91歳の私にとっては、とても幸せなことになります。今度の大会(といってもすべて、テレビ観戦ですが)があまりにすばらしかったので、つい欲が出てきたというところでしょう。

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