PK戦に強いドイツのPK戦負け

2016/08/23(火)

リオのオリンピック・サッカー(男子)の決勝はブラジル対ドイツという好カード。1-1の同点のまま90分と、さらに15分ハーフの延長が過ぎてPK戦となり、ブラジルが5-4で勝った。

PK戦が主要国際大会で初めて登場したのは1976年の欧州選手権で、ベオグラードでの決勝の西ドイツ対チェコスロバキアで2-2の後、チェコがPK戦を5-3で制した。このPK戦で敗れた西ドイツ(ドイツ)は以来ユーロやワールドカップでのPK戦には常に勝ってきた。選手にもPK戦についての意識が強かったのだろうが、PKを蹴る選手のオーダー(順番)にも工夫が見られ、私の頭の中には「PK戦はドイツが強い」が定説になっていた。それが、リオの決勝でブラジルに敗れた。

このPK戦はドイツが先に蹴り、両チームとも4人目まで成功し、ドイツの5人目のニルス・ペーターゼンがGKに防がれ失敗。ブラジルの5人目のネイマールが決めて、5-4として金メダルを獲得した。

失敗したペーターゼンという選手についてはよく知らないが、彼のキックの前の所作を見ると、ボールをプレースして、シュートに入るまでの時間がいささか短いようだったし、シュートそのもののコースを相手GKに読まれていた上に、コースがGKのリーチの範囲だった。シューターの失敗といえるだろう。

相手の5人目の失敗の後を受けて、ブラジルの5人目はネイマールだった。5人目という、ひとつの「けじめ」となるキッカーにブラジルはチームで最も信頼のおけるネイマールを置いたのは常識的であっても、正しい判断だった。ネイマールは相手GKに自分のコースを読ませずに右足でしっかりと決めた。

取材で立ち会ったビッグトーナメントでの最初のPK戦は1982年ワールドカップの準決勝、西ドイツ対フランスだった。それ以来、PK戦のドラマチックな面白さはサッカーの試合中のゴールとはまた別の楽しみとなった。

今度のオリンピックサッカーの決勝を見て、改めてPK戦の面白味を皆さんと話し合いたいと思っている。

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日本スポーツの底力を見た400mリレーの銀メダル

2016/08/22(月)

リオデジャネイロオリンピックが終わりました。テレビ放送のおかげで、とても楽しい夏の日々でした。

日本のメダル数は、これまでの最多でした。それぞれの競技のコーチや選手たちの努力や進歩を示すものとして、お祝いしたい。そして、なにより私にうれしいのは、陸上競技の400mリレーで銀メダルを獲得したこと。専門家やメディアはリレーのバトンタッチの技術のうまさをその原因にあげている。その通りには違いないが、日本の4人の走者の実力が前回より高くなっていることを証明したことが、とてもよかったと思っています。

もちろん日本の短距離がアメリカや英国より上とまでは言いません。100mの決勝に進出できなかったことが、それを語っていますが、今度の400mリレーでの快挙は日本のスポーツ界全体に「速く走ろう」という気風を高めるものと期待しています。長いオリンピックとの付き合いで、私は日本が100mの世界トップクラスののランナーを持っている時には、サッカーにもまた足の速い、いいプレーヤーがいたことを知っているからです。

リオデジャネイロ大会の閉会式で、東京の新しい女性知事さんがリオの市長から五輪旗を受け取りました。これからいよいよ東京オリンピックに向かっての会場の準備に向かうことになります。

今から52年前、1964年の東京オリンピックのときに新聞社のスポーツ記者であった私は、60年ローマ大会が終わって、いよいよ「東京」だぞと、日本のスポーツ人の気分が高揚したのを改めて思い出します。

2020年の大会を自分の目で見られることができれば、いま91歳の私にとっては、とても幸せなことになります。今度の大会(といってもすべて、テレビ観戦ですが)があまりにすばらしかったので、つい欲が出てきたというところでしょう。

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夏のオリンピック テレビ観戦

2016/08/15(月)

皆さん、テレビをご覧になっていますか。リオでのオリンピックは前半の体操、柔道などのメダルラッシュで盛り上がりました。

91歳の私は小学6年生のとき、1936年のベルリン・オリンピックの実況ラジオ放送を、わが家の電蓄(でんちく)- 電気蓄音機をこう呼んでいた -で深夜に聞いた覚えがあります。その内容については覚えていませんが、ガーガーという雑音の混じったアナウンサーの声を思い出しながら、80年後のいま、テレビの画面でさまざまのスポーツを、その全景から細部にいたるまで見せてもらっています。

1952年に産経新聞に入社してスポーツ記者となった私には、その年のヘルシンキ・オリンピックがジャーナリストとして出会った最初のオリンピックでした。特派員となった木村象雷(きむら・しょうらい)部長がタイプライターひとつを持って出発するのをかっこいいなと見送ったものです。以来、64年間、オリンピック大会は私には特別なものとなっています。

記者としてオリンピックを取材すること、そして特派員として海外のオリンピック大会に出かけることは、若いスポーツ記者にとっての願いでした。特派員の方は残念ながら機会に恵まれなかったのですが、オリンピック記者としての勉強を重ねたのを覚えています。
日本で一番盛んなスポーツ、野球はプロフェッショナルのセ・パのリーグがあって全国民に親しまれていますが、オリンピック大会の正式種目には入っておらず、今度のリオの大会でも開催されません。種目のほとんどは、野球やサッカーに比べると、日ごろ日本人の多くにはなじみの少ないものですが、それだけに試合の模様を丹念に画面に映し出すテレビ放送は多くの人をひきつけ、選手がそれぞれの国の国旗を付けたユニフォームを着て戦うのですから、応援に力が入ることになります。

サッカーも長い間、日本ではマイナースポーツだったのが、東京オリンピックで多くの国民が実際の国際試合を目の前で見たのが、今日の隆盛のもととなったのです。

そんなオリンピックの流れを思い浮かべながら、毎日のテレビを見る。ことさら暑いと言われ、年寄りは暑気あたりには注意しなさいと警告されながら、今年の夏は、誠にうれしいものとなっています。

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神戸FC・岩波拓也選手の壮行会

2016/07/19(火)

15日金曜日の夜、神戸磯上のKR&ACのホールで、神戸FC(フットボールクラブ)によるオリンピック代表の岩波拓也選手の壮行会に出席しました。

1963年、つまり東京オリンピックの前の年にスタートした兵庫サッカー友の会が1970年に神戸FCとなったのですが、その神戸FCで少年期を過ごした少年からリオデジャネイロ・オリンピックの日本代表が生まれたのです。クラブ発足のときの理事であった仲間は去り、いまでは私ひとりです。

神戸からは多くの日本代表が育ち、輝かしい実績を残しましたが、オリンピックの本番でプレーするとなると多くはありません。それだけに神戸で生まれ育ち、神戸FCでボールを蹴った岩波選手の五輪出場はクラブの会員にとって、とてもうれしいこと。会場は100人の出席者でいっぱいになりました。

クラブの少年会員(ボーイズ)たちの岩波選手に対するさまざまな質問もあり、新聞各紙の記者の取材もありで、2時間の壮行会はあっという間に過ぎました。

岩波選手は小学生のころから神戸市の選抜となり、ヴィッセルのユースからヴィッセルのプロとなり、オリンピックの日本代表となりました。ポジションはCDFで身長186センチ、ボールテクニックが確かで、日本の守りの柱となっています。壮行会での多くの会員からの質問や、かつてのコーチたちからの激励に対しての受け答えも丁寧で、誠実な人柄があらわれていました。

いまのサッカー界ではオリンピックはワールドカップよりも格下の大会とみる風潮がありますが、オリンピックはなんといってもオリンピックで、特に日本では全国民が注目するもの。リオデジャネイロでの日本代表の試合ぶりは日本サッカーの今後にとってもとても重要なものとなるはずです。岩波選手の顔を見ながら、彼がその大切な舞台でいいプレーをして、レベルアップしてほしいと心から願いました。

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Photo By H.Kato

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ペレの映画をみました

2016/07/18(月)

賀川:大阪駅のステーションシネマで上映中のペレの映画を見ました。映画が終わった時、冷房が効いているはずなのに、体が熱くなっていました。もちろんテーマがペレさん、ということもありますが、映画そのものも、よくできていて感動しました。サッカー好きはもちろん、スポーツに興味のある方々、ブラジルに関心のある皆さんに、ぜひご覧になっていただきたいと思いました。

――映画のタイトルは「ペレ 伝説の誕生」でしたね。

賀川:ペレの生い立ちと、ブラジルのフチボール(サッカー)の当時の背景がかなり詳しく紹介されています。プロ選手だった父親との、少年ペレとのボールのやり取りの場面や少年チームの試合などでは、ボールを扱う技術が上手でした。

――アメリカの製作者ですが、撮影はすべてブラジルで行ったそうですね

賀川:私はテレビででも映画でも、映像の製作者の努力にいつも敬意を払うのですが、今回は全世界の人がペレを知っていることを考えれば、作る側はとても大変だったでしょう。9歳と16歳の少年が選ばれ、それぞれの年代のペレを演じていて、これもよかった。

――ペレさんは1940年10月23日生まれで、現在75歳です。映画の中にも、今のペレさんが登場します。もちろん58年のワールドカップは試合のフィルムでも挿入されているので、ペレさんの実際のプレーも見ることができます。

賀川:ブラジルのサッカーがジンガ(GINGA)という黒人たちのフットボールを基礎にしているところ、このボール扱いの巧みさを競う遊びがブラジルのフチボールを支えているところをうまく描いています。

――賀川さんはペレのことは何度も書いていますが、月刊グランにも連載中ですね

賀川:中日新聞が発行しているグランパスのファン向けの月刊誌「グラン」にはずいぶん前から「人もの」の連載のページをもらっているのですが、ペレさんの映画のことを全く知らなかったのに7月号(6月発行)でペレさんを初めて書き、8月号(7月12日発行)がその2回目でした。

――内容は1、2回ともペレがサントスFCのメンバーで来日して、日本代表と試合をした時のプレーでした

賀川:サントスFCが3-0で勝った1972年5月26日、国立競技場での試合で、ペレはチームの2点目と3点目となる2得点をあげました。そのことから入って、ペレさんの紹介をしようとしています。

――1970年、ペレの3度目のワールドカップのときは取材に行けなかった。それだけに72年の来日での試合取材は賀川さんにはいいチャンスでしたね

賀川:私のいた新聞社では、私にサッカーの取材だけをさせてくれたわけではありません。それでも大阪から東京へ出かけて行ってペレの試合を生で見たのですから、とても幸いでした。

――72年のサントスでの現役としての来日の後、ペレさんは何度も来日しましたね

賀川:釜本選手が日本代表から離れる時もペレは来日しました。私が彼とゆっくり時間を持ったのは1984年の釜本邦茂の引退試合に来日してくれたとき。日本サッカー協会と日本サッカーリーグ、そして釜本のいたチーム、ヤンマーなどと話し合い、8月25日に国立競技場でヤンマー対日本リーグ選抜の試合を行い、リーグ選抜に特別招待選手としてペレさんとドイツのボルフガング・オベラートの2人に加わってもらったのです。

――あの引退試合で、国立競技場が満員になりました。80年代は日本代表もアジアで勝てなくて、代表の試合でも観客が少なかったのに、引退試合は文字通り満員でした

賀川:釜本邦茂という選手の人気や運の強さもあったのでしょうが、ペレさんが来てくれたこともあって、大成功でしたね。

――試合の後で、ペレが釜本を肩車して歩きましたね

賀川:釜本は引退試合でゴールするという彼ならではのプレーを見せましたが、ペレも試合の大半の時間をプレーし、オベラートとともに、この試合を盛り上げてくれました。試合中に彼は自分の気持ちの高まりとともに素晴らしいプレーをするのですが、この試合でもオーバーヘッドキックまで披露しましたよ。そして、その高揚した気持ちが試合後に肩車にあらわれたのです。41歳の小柄なペレさんが、あの釜本を担いだのです。

たくさんの人がこの映画をきっかけに、私たちはペレと同時代に生きたという幸せを味わってほしいと願っています。

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【お知らせ】記事掲載のお知らせ

2016/06/07(火)

本日(6月7日)の読売新聞に

91歳の夢 ネット寄付で

としてクラウドファンディングについての記事が掲載されました。

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【お知らせ】「90歳のサッカー記者 日韓 歴史の宿命」再放送が決定

2016/05/13(金)

昨夏に放映いただいたドキュメンタリーの再放送が決定しました。
読売テレビにて、5月16日(月)午前3時から30分間です。

「90歳のサッカー記者 日韓 歴史の宿命」
(初回放送:2015年7月5日)
http://www.ytv.co.jp/program-weekly/

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日独サッカー展とアジア第2次予選対シリア戦 久しぶりに香川真司の好プレーを見て

2016/04/12(火)

2018FIFAワールドカップロシア アジア2次予選 最終戦
日本代表 5(1-0、4-0)0 シリア戦

――神戸市立中央図書館で日独サッカー交流展が開催されていますが、4月9日には賀川さんの講演会も行われたそうですね

賀川:日本サッカー協会(JFA)が東京で昨年暮れから今年に冬にかけて日独サッカー交流展を行い、昨年12月にトークイベントを開催しました。その交流展の展示品をJFAから、そのまま借用して、神戸でも開催したいと考え、NPO神戸日独協会、NPOサロン2002、NPO神戸アスリートタウンクラブの協力をえて4月から開催しています。9日にはその日独のサッカー交流について講演しました。神戸という港町も独自のドイツとの交流がありましたから、その視点でもお話をし、また展示品の中には太平洋戦争中にドイツの商船で、のちに日本海軍の航空母艦(空母)に改装したシャルンホルストに関するものなどについての本もありました。私が神戸一中の3年生の頃には、このシャルンホルストの船員と兄・太郎たちのチームが神戸一中のグラウンドで試合をしたこともありましたからね。

――日本とドイツといえば、デットマール・クラマーさんを思い出しますね

賀川:この展示もデットマール・クラマーを記念する意味もあります。日本サッカーの大恩人ですからね。

――スピーチの会場にドルトムントの香川真司のユニホームが展示されましたが、スピーチのあとでユニホームと記念撮影をする人が多かった。賀川さんも何回も付き合ってカメラに収まっていました

賀川:神戸ですから、香川ファンはいっぱいいます。このユニホームも、前回のスピーチのときに香川選手のお母さんが、わざわざ持参して寄贈して下さったのです。

――楽しい会でした。こうしたスピーチや「このくにのサッカー」の対談などがあって、ここしばらくこのブログでの観戦記などが少なくなっていました

賀川:日本代表や香川真司がいいプレーをしたワールドカップアジア第2次予選対シリア戦(3月29日)についても、このブログではまだでしたね。申し訳ないことです。

――少し遅いけれど、2次予選の総括の意味を込めて振り返ってみたいところです

賀川:この試合についてはサンケイスポーツ新聞紙上に私の感想も掲載されましたが、先程話に出たように、香川真司がとてもいいプレーをしたのでそれについても語りたいところです。

――香川がこのシリア戦のあとドイツへ戻って、ドルトムントでとてもいいプレーだったそうです

賀川:ここしばらく調子がいいとは言えなかった香川についてはハリルホジッチ監督も気にしていたようで、シリア戦の前のアフガニスタン戦では本田圭佑は休ませたのに香川は試合後半途中に出場させました。そしてシリア戦はスタートから本田、香川、宇佐美貴史の第2列に、岡崎慎司をワントップに置きました。長谷部誠、山口蛍のMF、右が酒井高徳、左が長友佑都、CDFは吉田麻也、森重真人、GKは西川周作でしたね。

――はじめから速いテンポの攻めでした。とてもスピーディな動きでサッカー特有の爽快感のあるいい展開…と言っていましたが、これに緩急がつけばなぁと惜しんでいましたね

賀川:難しいことではあるが、緩急の落差の大きいプレーができると速さが生きるのです。この試合を見ているときにヨーロッパからヨハン・クライフ死亡のニュースが届きました。クライフは、ワールドカップのオランダ代表で、トータルフットボールを演じました。現代のサッカーのもととも言うべき、全員攻撃、全員守備なのですが、その時にもクライフによる緩急の変化が、オランダの速い攻撃を生かしていた。もちろん、緩急といったプレーのタイミングについて文字や言葉で説明するのはなかなか難しいのですが、ヨハン・クライフはそのタイミングについても語った人でした。

――前半のゴールは左CKから相手のオウンゴールでした。

賀川:ショートコーナーにして、香川がペナルティエリア近くから速いライナーを送り、GKアルメハがパンチしたのが仲間の頭に当たってオウンゴールとなりました。ショートコーナーで相手が予想していたよりも速いクロスを送ったのが活きたのでしょう。

――それまでの6本のCKとは違ってショートコーナーにしたことでまず最初にタイミングを遅くし、次いで強い速いクロスで、クロスに対する相手の反応を狂わせたとも言えますね

賀川:それが相手のオウンゴールにつながったと私は見ています。

――このあと日本側は何度もチャンスを作りながら得点できず、前半は1-0でした。後半も、相手は守りを厚くしながらも、積極的にカウンターに出てきたこともあって4点を奪われました

賀川:シリアの国情から見ても、シリア代表チームの環境は決してサッカーにいいとは言えないはずですが、彼らにも代表のプライドがあり、また国民を喜ばせたいという願いがあるのでしょう。そのためには、守りを厚くして失点を少なくするだけでなく、チャンスには攻めに出て1ゴールでも奪いたいと思ったのでしょう。何度もいい攻撃を見せました。日本側が前がかりになって攻めに多くの人をつぎ込み、ボールを奪われたときに守りが手落ちになったこともありましたね。

――ノーマークシュートの場面もあったので点を取られても不思議はなかったほどです

賀川:日本は長友、宇佐美のいる左サイドも、また酒井の右サイドも何度も攻め込みました。前半には短いパスがつながった驚くほど見事な場面もありました。

――最後は酒井がゴールキーパーと1対1になってシュートは左に外れましたね

賀川:まぁ見ていて、とても楽しい攻めを何度も作りました。相手がゴール前に引き込んでいるだけでなかったこともありますが、私はシリアのサッカーの意欲に感心したものです。

――後半20分の日本の2点目は相手CKをGK西川がキャッチし、原口へボールを投げたところから始まりました

賀川:山口蛍がジャンプヘッドのときに、送れて飛び込んできた相手にぶつかられて担架で運び出され、原口元気が交代で入っていました。その原口がドリブルしてハーフラインを越え、左の宇佐美にパスしました。宇佐美は縦に進み25ヤードあたりから内へ持ち込んで、3人に囲まれて香川にパス。香川から長谷部へ渡し、相手がそれを奪いに来てもみあいから高く上がったボールがペナルティエリア内に落下した。本田がいて、左足でそのボールをもう一度浮かせて香川へパスした。香川はこのボールを胸で止め、左足のボレーシュートを決めたのだった。

――香川がシュートのとき「うまい」と叫んでいましたね

賀川:胸でボールを止め反転して左足のボレーに持って行くところの形が良かったこと。そして、その難しい反転シュートを、利き足の右でなく、左足で決めたところにこの日の香川の好調さというのか、あるいは香川のゴール前での実力アップというのか…いいプレーが出ました。テレビではスローでのリピートを見せてくれました。このとき香川が左ボレーを蹴る形をよく見ることができます。ボールを注視して、精神が集中している一瞬をよくとらえていました。

――絶品という言い方で、ほめていました

賀川:選手は、こうした重大な場面でいいプレーをすることで、力をつけていくものだという、一つのうれしい見本でした。

――3点目は香川のペナルティエリア左一杯からの本田へのヘッドでした

賀川:本田のヘディングは日本代表の一つの武器であることに変わりはありません。このチャンスも相手のシュートをGK西川が足で防いで、相手のCKからというチャンスでした。日本側のクリアが香川に渡り、速攻のパス交換から香川が本田の頭上へ送ったクロスを本田がノーマークでジャンプヘッドしました。後半41分でした。本田のすぐ近くに日本の2人が走り込んでいました。

――4点目は香川が決めました。

賀川:金崎がヘディングを取りにいって、相手のヘディングが香川の近くに落ち、香川が右足でシュートし、相手GKの体に当たったリバウンドを香川が左足サイドキックで押し込みました。

――5点目は長友のクロスを原口がヘディングで決めた。左から相手に押し込まれた後のカウンターでした

賀川:この日の長友の何回もの攻め上がりを締めくくる後半48分のゴールでしたね。長友のタフさと技術はこの試合でも充分に見ることができました。原口もゴールを奪う気持ちが最後に報われたという感じでしたね。

――岡崎慎司は2度いいチャンスがありましたが得点できませんでした

賀川:この日のスターティングメンバーラインアップでの4人の攻撃陣は長身がいないので、監督さんもその点の組み合わせをどうするか考えているように見えました。

――2次リーグを勝ち抜き、いよいよ秋からのアジア最終予選を戦うことになります

賀川:アジアの強豪チームが顔を揃えます。2次予選の試合を足場に代表チームの一人一人がまた成長してもう一段上の最終予選も勝ち抜いてほしいものです。

――それにはJリーガーの国内代表も海外組も、よりたくましく強くなってほしいものですが、やはり香川や本田、岡崎たちもシーズン後半のヨーロッパで活躍し、力をつけてほしいものです

賀川:ドイツ、イタリアそしてイングランドのプレミアリーグも見なければならず、サッカーファンには忙しいが楽しい日々が続きますね。

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【お知らせ】「日独サッカー交流の始まり」講演会

2016/04/07(木)

神戸賀川サッカー文庫が設置されている神戸市中央図書館において、講演会を開催いたします。

内容:「日独サッカー交流の始まり」
日時:平成28年4月9日(土曜)15時から17時
会場:中央図書館2号館3階 閲覧室(2)

デットマール・クラマーと日独サッカー交流展@神戸(神戸市サイト)

▽共催団体
特定非営利活動法人神戸アスリートタウンクラブ
特定非営利活動法人サロン2002

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GAViC CUP ユースフットサル選抜トーナメント2016を見て

2016/03/29(火)

――東京へフットサルの大会を観戦しに行ったとか

賀川:「GAViC CUP ユースフットサル選抜トーナメント2016」という大会が東京の墨田区総合体育館で3月19、20日の2日間開催されました。U-18の各地域代表の大会でした。

――日本フットサル連盟主催の大会ですね

賀川:2012年に名古屋のオーシャンアリーナで全国規模の大会が開かれ、次の年から日本フットサル連盟主催の大会となっています。今回は全国9地域と開催地(東京都)の代表を含む12チームが集まりました。

――それにしても東京まで出かけるとは

賀川:大会にかかわりがあったこともありますが、なによりこの年代のフットサルの試合は見ていて面白いのです。

――もともとフットサルはサッカーと違って体育館内の狭いピッチだから、相手ボールを取れば、すぐシュートレンジに入りますからね

賀川:互いにバンバンシュートを打ち合うところ、そしてまた狭いスペースで巧みに相手をかわし、またパスをつなぐ面白さもあります。試合中見る側も緊張の連続ですよ。

――今年はU-18東京都選抜(開催地)とU-18新潟県選抜(北信越代表)の決勝となり、新潟がPK戦で優勝を手にしました

賀川:1次ラウンドでA、B、Cの3グループを勝ち上がった4チームが準決勝に進みました。準決勝を含めて、ゴールの奪い合いで、神奈川県選抜対東京都選抜の準決勝は7-5で東京が勝ち、新潟県選抜対静岡県選抜は8-2で新潟というふうに得点も多く入ったのですが、決勝は前半0-0、後半1-1という緊迫した戦いになり、PK戦(3人)の末、新潟が勝利しました。

――各府県の選抜チームということは、それぞれの個人能力も高い?

賀川:そうですね。なかには、日本代表に入るという選手もいたほどで、ボール扱いや、スピードに乗ったプレーに感嘆することも多かった。ボールの奪い合いが激しくて、この点でも見ごたえがありました。U-18という伸び盛りのプレーヤーの進歩が早く、毎年レベルが上がっている感じですね。体育館のスタンドは6分の入りで、もっと多くの人に見てもらいたいという気がしました。

――賀川浩賞の表彰があったとか

賀川:いろいろな縁のある大会で、大会の得点王に賀川浩賞を贈ることになりました。東京選抜の中村充選手にトロフィーを渡しました。とてもいいシューターですよ。

――大会全体の感じは

賀川:フットサルはフロアの上での試合で、サッカーとは少し違うところはありますが、手を使わず足が主になることは、まさにフットボールです。多くのサッカー人も、サッカーが未知の人も、小さなスペースで少人数でプレーできるフットサルを楽しんでもらえば、サッカーをするにも見るにもまた楽しみが増えるでしょう。

GAViC CUP ユースフットサル選抜トーナメント2016公式サイト

U18kagawa


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