神戸少年サッカースクール設立45周年、(社)神戸フットボールクラブ設立40周年(下)

2010/02/07(日)

100206kfc
神戸FCの周年記念史。右から20周年、30周年、そして今回の40周年
表紙の赤と白のデザインは、チームのユニフォームを模している



――昭和39年の勝利が昭和5年の極東大会に結びつくわけですか。

賀川:そのころ、私も不勉強ではあったが、前から昭和5年の勝利が次の11年(1936年)の“ベルリンの奇跡”につながるという程度のことは聞いていた。

――そこで……

賀川:田辺さんのスピーチは素晴らしかった。あとはまあ、あのプレーが良かった、とかいうような話が多かったのだが、そのなかでボクが例の思いつきでつい口に出してしまった。

――どんなことをです?

賀川:私は先輩たちのバックアップのおかげで、1959年、高校選抜日本代表チームとともに第1回アジアユース(マレーシア)へ行きました(マネージャー兼報道役員として帯同)。
 そのときのいわばアジアユース1期生の中から杉山隆一宮本輝紀、継谷昌三の3人のオリンピック代表が出たことはご存知でしょう(釜本邦茂は第4期生)。しかしその1期生たちと一緒にプレーしてみて、彼らのボールテクニックはまだまだだと思った。
考えてみたら、彼らがボールを蹴るようになったのは新制中学に入ってからです。私たちのときは、特に教えてはもらわなかったが、雲中(うんちゅう)小学校や御影師範付属小学校などでボールを蹴っていた。正式でなくても、ゴムマリ(軟式テニスのボール)のサッカー遊びもしていた。そのことから思えば、いまの代表選手たちはボールを蹴り始めたのが遅いから、ボール扱いが上手でないのは当然。ここを考えて、まず小学生のサッカーを考えたい、と言った。

――それで?

賀川:そのときはフムフムという感じだったが、翌日、加藤ドクターから電話がかかってきた。「賀川君、昨晩のあの話、やろうじゃないか」とね。

――それが少年サッカースクール45周年の始まりですね。

賀川:加藤ドクターの大車輪の活動が始まり、友の会主催で少年サッカースクールが誕生。その成功から今度は母体の友の会を改編して社団法人のクラブへ――ということになった。

――面白い話。でも今回はこのあたりにしておきましょうか。KFCの交友録も、また改めて聞かせて下さいね。


book関連記事
速さの杉山とともに成長したアジアユース1期生 宮本輝紀(上)
時代を見通した博覧強記 田辺五兵衛(下)


【了】

固定リンク | 素晴らしきサッカー仲間たち | コメント (0) | トラックバック (0)


神戸少年サッカースクール設立45周年、(社)神戸フットボールクラブ設立40周年(中)

2010/02/06(土)

100205kfcbook
記念冊子
左:神戸少年サッカースクール10年のあゆみ
右:目で見るK.F.C.



――それから?

賀川:12月29日に前後して、28、29、30日、つまり年末の時期に磯上、神戸高校、そして西宮の3ヶ所で順次に中高生対象のサッカー教室を開いた。講師は岩谷俊夫(故人)。当時の日本協会技術委員で毎日新聞の記者。今の高校選手権大会はそのころ毎日新聞社の主催で、岩谷君は指導者としても記者としても知られていたから、中高生には人気があった。

――小学生は

賀川:低年齢に及ぶのは後々の話。とりあえず、若い人にサッカーを教え、皆でボールを蹴ろう、そして国際試合で日本代表を応援しよう、その前にちゃんとしたグラウンドを作ろう――などいろいろな目的があった。
 そのころ日本には芝生のサッカーグラウンドはなく、国立競技場は1959年の第3回アジア競技大会の会場となったあと、64年オリンピックのための改装中だった。63年のオリンピックのためのリハーサルでも、会場は秩父宮ラグビー場。そののちに御崎にグラウンドができたのも、友の会の運動からだった。

――少年サッカースクールの45周年は……

賀川:友の会は講習会をしたけれど、不定期だった。少年サッカースクールのきっかけは東京オリンピック直後の会合だった。

――といいますと?

賀川:1964年10月の東京オリンピックで日本代表はアルゼンチンに逆転勝ちして開催国の面目を保つことができた。大会が終わったあと、デットマール・クラマーが帰国する前のお別れパーティの席上で、この1勝を足場にしての日本が次に打つ手を皆に言い残した。

――有名な、“クラマーの5ヶ条”ですね。

賀川:僕はその会に出てから関西へ帰ってきた。大会の少し前から、東京の新聞社のデスクで働いていたのから解放されて、当時、武庫之荘にあった家に戻ったら加藤正信ドクターから連絡がきて、田辺五兵衛さんから皆に集まってほしいという要請があったということだった。何月何日だったかは覚えていないが、三宮のどこかでご飯を食べながら、田辺さんが言ったのは、
「東京での対アルゼンチンの1勝は、1930年(昭和5年)の東京での第9回極東大会で日本代表がフィリピンに勝ち中華民国と引き分けて念願の極東1位を果たした(※)のに匹敵する、サッカー史上のエポック・メーキング事件です。これを将来につなぐために、私たちは何をすべきかを考えてほしい」。
 ※編集注:当時は得失点差で順位を決める規則ではなく、1勝1分けで2チームが同率優勝となった


book関連記事
ローマ、東京、メキシコ(11)
ゴールを奪うMFで優しい指導者 歴史を掘り起こした記者 岩谷俊夫
普及と興隆の機関車となった偉大なドクター 加藤正信(続)


【つづく】

固定リンク | 素晴らしきサッカー仲間たち | コメント (0) | トラックバック (0)


神戸少年サッカースクール設立45周年、(社)神戸フットボールクラブ設立40周年(上)

2010/02/05(金)

100130kfc
祝賀パーティ会場で
左から大仁邦彌JFA副会長、藤井さち代さん、前野正KFC理事長



――1月30日に、神戸のポートピアホテルで神戸フットボールクラブ(KFC)の40周年記念式典と祝賀パーティがありましたね。参加者が260人もあったとか……盛況でしたね。

賀川:そうネ。昨年には枚方フットボールクラブの40周年のパーティもあった。学校のクラブや企業のクラブとは別の形の、市民スポーツクラブが半世紀近くの歴史を持つようになってきたのですヨ。

――創設の発起人でもあり、「兵庫県サッカー友の会」のころからの関係者として、KFCのパーティは感慨ひとしおというところだったでしょう。

賀川:枚方の40年のときも古い仲間に会えて嬉しかったが、今度は神戸だからね――。同じテーブルにJFAの大仁邦彌副会長、クラブの植月正章会長、米田准三名誉会長、前野正理事長、細谷一郎副理事長、それから来賓のアシックス佐野俊之取締役、ニチレクの田淵和彦社長、クリムゾンフットボールクラブの叶屋宏一社長などの顔があった。
 植月さんはアシックス時代からの長いおつきあい。大阪女子マラソン以来ずーっと世話になっている。この人はオニツカタイガーのランニングシューズを世界的に広めた人だヨ。
 米田さんは神戸一中で私の3年下だが河本春男(故人)会長のあとを引き受けてもらって、ずいぶんクラブに尽くして頂いた人だ。

――メインテーブルですね。

賀川:そうだったネ。今ごろ気が付いている。まあ一番の年長者で、今のクラブでも顧問ということになっているのだが……。こうした市民クラブはそれを自分たちで運営するクラブ員の力が大切なのだが、たくさんの人々の応援やバックアップのおかげでもある。そうしたお世話になった人や昔からの仲間に会えたのは何よりだった。
 今度の40周年記念史にも書いておいたのだが、20周年のときに、KFCや神戸少年サッカースクールの由来について書いておいた。いずれ、このブログにも再録しておきたいと思っているが、そもそものスタートは「兵庫サッカー友の会」からなんだ。
 これは、加藤正信ドクターという旧制神戸一中(現・神戸高校)で私よりも12歳年長の先輩が、
「戦前の神戸や兵庫はサッカー王国で、全国大会でもずーっと勝っていた。日本代表選手もたくさん育った。この東京オリンピックを控えたサッカー興隆の好機に、もう一度、兵庫のサッカーを強く盛んにしたい」
と考え、自分たちのライバルであった御影師範学校(神戸大学教育学部、現・発達科学部)のOBたちの賛同を得て、大橋真平さん(故人)に幹事長を引き受けてもらって1963年12月29日、「兵庫サッカー友の会」を発足した。

――友の会というのは? 阪急友の会とか、大丸友の会みたいなもの?

賀川:そういうのがありましたネ。京都サッカー協会会長の藤田静夫さん(故人・日本サッカー協会会長)が一足早く京都で協会をバックアップするファンの組織をつくったことからヒントを得た。

――それで、何をしたのですか

賀川:友の会の目的に、“5つの夢”として、
(1)少年サッカーの育成
(2)国際サッカー場の創設
(3)芝生の少年サッカー場の創設
(4)クラブチームの編成・強化
(5)サッカー王国 兵庫・神戸の復活

という5項目を掲げた。
 役員などを決めて、神戸高校の同窓会館で設立総会をした。会員の申込み、登録は1,007人だったから、反響は大きかったといえるだろう。


book関連記事
世界の“常識”を求めて(1)
兄は社長に、弟は生涯一記者に 日本サッカーの指標となった大谷一二、四郎兄弟(下)
普及と興隆の機関車となった偉大なドクター 加藤正信(中)
京都と日本のサッカーに捧げた90年 第6代藤田静夫(下)


【つづく】

固定リンク | 素晴らしきサッカー仲間たち | コメント (0) | トラックバック (0)


今夜、キリンチャレンジカップ・ベネズエラ戦

2010/02/02(火)

いよいよ2010年の日本代表のワールドカップ準備シリーズが始まる。今日はキリンチャレンジカップの対ベネズエラ戦。

今回、ベネズエラは南米予選を突破できなかった。南米の中で強い国というわけではないが、今の日本代表にとっては相手よりも、まず招集した国内メンバーの組み合わせや調子を見るのが第一となるだろう。その意味で、新しく加わった小笠原満男平山相太の二人が、どんな働きをするかが楽しみ。ベテランと若手、MFとFWというポジションで、どちらも“大物”には違いないからね。

もちろん、全ての選手の今年の調子を見る。休養期間中の過ごし方があらわれるから。ジーコのときはこの休養明けのときに進歩が見えなくて、ガッカリしたのを覚えている。

キリンチャレンジのあとには東アジア選手権決勝大会がある。
この時期に東アジア各国と試合ができれば、いい経験を積める。中国は体格が大きく、韓国は伝統的に対日本戦に強い。今のチームの日本らしさを発揮して勝ちにゆく。まことに結構な相手ですよ。
岡田流の中で、どんな組み合わせや「阿吽(あうん)」の呼吸が生まれるかが見られるだろう。

固定リンク | 日本代表(A代表) | コメント (0) | トラックバック (0)


第1~3回掲額者の写真を追加 ~日本サッカーアーカイブ~

2010/01/29(金)

第1~3回掲額者のページに写真を追加!
式典の際に撮影された、ご本人やご親族、掲額プレートの写真です。

 内野台嶺
 長沼健
 釜本邦茂
 平木隆三
 賀川太郎
 鴇田正憲 ほか

固定リンク | お知らせ | 日本サッカーアーカイブ | コメント (0) | トラックバック (0)


片山洋を公開 ~日本サッカーアーカイブ~

2010/01/28(木)

英語版日本サッカー人物史book更新!
メキシコ五輪・銅メダルの右FB、片山洋氏のページを公開しましたnew

*日本語版の片山洋はこちらsearch

固定リンク | お知らせ | 日本サッカーアーカイブ | コメント (0) | トラックバック (0)


アーセナルの選手情報を更新 ~賀川サッカーライブラリー~

2010/01/27(水)

イングランドの名門アーセナルの選手情報memoを更新!

アーセナルは欧州チャンピオンズリーグsoccer決勝ラウンド1回戦で、FCポルト(ポルトガル)と戦います。

固定リンク | お知らせ | 賀川サッカーライブラリー | コメント (0) | トラックバック (0)


コラム岡崎慎司 編など公開 ~賀川サッカーライブラリー~

2010/01/26(火)

サッカーマガジン連載「ストライカーの記憶 ~我が心のゴールハンター~」を更新newしました

【番外編】岡崎慎司 最終予選6月シリーズから、粘っこさと長走と修羅場への取り組み。岡崎慎司と2つのゴール
【番外編】W杯アジア予選から 今野泰幸の2つのチャンス、パスかシュートか。「ワンタッチで試合を変える」面白さを味わう



※このコラムは『週刊サッカーマガジン』に掲載中のコラムのバックナンバーです

固定リンク | お知らせ | 賀川サッカーライブラリー | コメント (0) | トラックバック (0)


AZの選手情報を更新 ~賀川サッカーライブラリー~

2010/01/25(月)

AZ(オランダ)の選手情報memoを更新!

固定リンク | お知らせ | 賀川サッカーライブラリー | コメント (0) | トラックバック (0)


山口芳忠を公開 ~日本サッカーアーカイブ~

2010/01/22(金)

英語版日本サッカー人物史book更新!
メキシコ五輪・銅メダルの左FB、山口芳忠氏のページを公開しましたnew

*日本語版の山口芳忠はこちらsearch

固定リンク | お知らせ | 日本サッカーアーカイブ | コメント (0) | トラックバック (0)


«フィオレンティーナの選手情報を更新 ~賀川サッカーライブラリー~